雄略天皇の御代のこと。天皇に仕える小子部栖軽という者がいた。ある日、天皇が磐余の宮で皇后と共に休んでいたところへ、栖軽はそれと知らずに入ってきてしまった。天皇はきまり悪く思い、行為をやめた。
ちょうどそのとき、空に雷が鳴り響いた。天皇は栖軽に、「おまえ、あの雷を迎えて来られるか」と言った。栖軽は「お迎えしてまいります」と答えた。
栖軽は、額に赤いかずらを巻き、赤い旗をつけた桙を持って馬に乗り、阿倍の山田の前の道から豊浦寺の前の道を駆け抜けた。そして軽の諸越の辻に至ると、大声で叫んだ。「天の鳴る神よ、天皇がお呼びである」。
そこから馬を引き返しながら、栖軽は言った。「雷神といえども、天皇のお召しを拒むことができようか」。すると、豊浦寺と飯岡の間に、雷が落ちていた。栖軽は神官を呼んで雷を輿に乗せ、宮へ運んで天皇に報告した。
雷は光を放ち、明るく輝いていた。天皇はこれを見て恐れ、たくさんの供え物をして、雷を落ちた場所に返させた。今、その場所を「雷の岡」と呼ぶ。
のちに栖軽が死ぬと、天皇は七日七夜その遺体をとどめて、その忠義をしのんだ。そして雷の落ちた場所に墓を作り、「雷を捕らえた栖軽の墓」と記した柱を立てた。
雷はこれを恨み、鳴り響いて落ちかかり、柱を蹴り踏みつけた。ところが、雷は裂けた柱の間に挟まって、また捕らえられてしまった。天皇はこれを聞いて雷を放してやったが、雷は魂が抜けたようになって、七日七夜そこにとどまっていた。天皇は改めて柱を立て、こう記させた。「生きても死んでも雷を捕らえた栖軽の墓」。
いわゆる古京の時代に、雷の岡と名づけられた由来は、このようなことである。