『土佐日記』 二月十六日(京の家に帰り着く) 舞台:平安京・内裏(京都府) 成立:935年頃 作者:紀貫之 ―――――――――――――――――――――――― 【原文】 生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ 【現代語訳(抄訳)】 京に入り立つとうれしい。家に着いて門に入ると、月が明るいので、たいそうよく様子が見える。聞いていた以上に、言いようもないほど壊れ荒れている。家を預けておいた人の心も、荒れ果てているのだった。隣との垣根はあっても一つの家のようなものなので、先方から望んで預かってくれたのだ。それでも、機会あるごとに、お礼の品も絶えず贈っていた。今夜は、「こんなことになって」と、大声で言わせたりはしない。ひどく薄情だとは思うけれど、お礼はしようと思う。 さて、池のようにくぼんで、水がたまっている所がある。そのほとりに松もあった。五年六年のうちに、千年も過ぎてしまったのだろうか、一部はなくなってしまっていた。新しく生えた小松も混じっている。何もかもすっかり荒れてしまったので、「ああ」と人々は言う。 思い出さないことはなく、恋しく思う中でも、この家で生まれた女の子が、一緒に帰ってこないのが、どれほど悲しいことか。一緒に帰ってきた人々は、子どもたちが集まって大騒ぎしている。こうした中で、やはり悲しさに耐えられず、ひそかに心の通じ合う人と詠み交わした歌。 「この家で生まれた子も帰ってこないのに、我が家に小松が生えているのを見るのは悲しいことだ」 と言うのだった。それでもまだ飽き足りないのだろうか、またこのように詠んだ。 「亡くなったあの子が、千年も生きる松のように長生きして、ずっとそばで見ていられたなら、遠い地で悲しい別れをすることもなかっただろうに」 忘れがたく、残念なことが多いけれど、とても書き尽くすことはできない。ともかく、こんなものは早く破ってしまおう。 ―――――――――――――――――――――――― 地点メモ:荒れ果てた自邸に帰着し、亡き娘を思って歌を詠む。 出典作品:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%97%A5%E8%A8%98