『平家物語』 巻七「倶利伽羅落」 舞台:倶利伽羅峠(富山県) 成立:13世紀 作者:作者未詳(信濃前司行長説) ―――――――――――――――――――――――― 【現代語訳(抄訳)】 寿永二年(一一八三年)五月、平維盛を大将とする十万余騎の平家の大軍は、北陸で挙兵した木曽義仲を討つために、加賀と越中の境にある砺波山に陣を構えた。 義仲は、わずか五万余騎。まともに戦っては勝ち目がない。義仲は、「平家は大軍だから、きっと山を越えて広い所に出て、力で押そうとするだろう。その前に、山の中に誘い込んで、険しい所に追い落としてやろう」と考えた。 義仲は、昼の間は、わざと小競り合いを仕掛けて時を稼ぎ、白旗を立て並べて、源氏の軍勢が大勢いるように見せかけた。平家は、「源氏の大軍が待ち構えている。山中の倶利伽羅峠で馬を休めよう」と、そのまま峠に陣を張った。 夜になると、義仲の軍勢は、平家の背後と左右に回り込み、四方から一斉に鬨の声を上げた。平家の兵たちは、暗闇の中で慌てふためき、逃げ場を求めて、倶利伽羅の谷へとなだれを打って落ちていった。 親が落ちれば子も落ち、兄が落ちれば弟も続く。馬の上には人が、人の上には馬が重なり、あれほど深い谷一つを、平家の兵七万余騎で埋め尽くしてしまった。谷の底からは岩清水が流れ、血の川となった。人々はこの谷を「地獄谷」と呼んだ。 後の世の『源平盛衰記』には、義仲が数百頭の牛の角に松明を結びつけ、平家の陣に突入させたという「火牛の計」の話が語られている。倶利伽羅峠の戦いに大勝した義仲は、勢いに乗って都へと攻め上り、平家は都を捨てて西国へ落ちていくことになった。 ―――――――――――――――――――――――― 地点メモ:木曾義仲が牛の角に松明を付けて夜襲し、平家の大軍を谷へ追い落とす。 出典作品:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E