『おくのほそ道』 「市振」 舞台:市振(新潟県) 成立:1702年刊(1689年の旅) 作者:松尾芭蕉 ―――――――――――――――――――――――― 【原文】 一家に遊女も寝たり萩と月 【現代語訳(抄訳)】 今日は、親知らず、子知らず、犬戻り、駒返しなどという北国一の難所を越えて疲れたので、枕を引き寄せて寝ていると、一間隔てた表の方の部屋から、若い女の声が二人ほどと聞こえる。年老いた男の声も混じって話すのを聞くと、越後の国の新潟という所の遊女であった。伊勢参りをするというので、この関まで男が送ってきて、明日は故郷へ返す手紙を書いて、ちょっとした伝言などを言い伝えているのであった。 「白波の打ち寄せる浜辺に身をさすらわせて、漁師の子のように落ちぶれ、定めない契りを交わし、日々の報いを受けるとは、前世の因縁がどれほど悪かったのか」と話すのを聞きながら、眠りについたが、翌朝、旅立つときに、私たちに向かって、「行く先の道も分からない心細さに、あまりにも不安で悲しいので、見え隠れにでもお後をついて参りたい。僧衣の情けで、仏の大慈悲を分け与えて、仏縁を結ばせてください」と、涙を流す。 かわいそうなことだと思ったけれども、「私たちは、あちこちで立ち止まることが多い。ただ人々の行く方に従って行きなさい。神様のお守りで、必ず無事に着くでしょう」と言い捨てて出てきたものの、哀れさがしばらくやまなかった。 「一家に遊女も寝たり萩と月」(同じ宿に、遊女も泊まり合わせていた。庭には萩の花が咲き、空には月が照っている) 曾良に話すと、書き留めてくれた。 * 市振は、越後と越中の境にある宿場で、関所が置かれていた。手前の親不知・子不知は、断崖が海に迫り、波の引いた隙に岩陰から岩陰へと走り抜けなければならない、北陸道最大の難所であった。 この遊女の話は、曾良の旅日記には記されていないため、芭蕉が創作した虚構ではないかとも言われている。僧の身である芭蕉と、浮き世に身を沈めた遊女。清らかな月と、可憐な萩の花。旅の中で出会った一期一会の人々への思いが、哀切に描かれている。 ―――――――――――――――――――――――― 地点メモ:「一家に遊女もねたり萩と月」。 出典作品:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%81%9D%E9%81%93