『雨月物語』 巻之三「仏法僧」 舞台:高野山(和歌山県) 成立:1776年 作者:上田秋成 ―――――――――――――――――――――――― 【現代語訳(抄訳)】※要確認 伊勢の国の拝志夢然という人は、家督を息子に譲って隠居した後、息子の作之治を連れて、諸国を旅していた。ある年の夏、二人は、紀伊の国の高野山に参詣した。 日が暮れてしまったので、宿を借りようとしたが、どの寺も、旅人を泊めることを許さない。やむなく、夢然親子は、奥の院の弘法大師の御廟の前にある灯籠堂の縁側で、一夜を明かすことにした。 夜が更けて、あたりは静まり返り、木々の梢を渡る風の音だけが聞こえる。そのとき、どこからか、「ブッポウソウ、ブッポウソウ」と鳴く鳥の声が聞こえてきた。仏・法・僧の三宝の名を唱えて鳴くという、霊鳥である。夢然は、その声に心を打たれ、句を詠んだ。 すると、遠くの方から、大勢の人の足音と、先払いの声が聞こえてきた。夢然親子が、驚いて縁側の隅に身を隠していると、身分の高そうな武士が、多くの家来を従えてやって来て、灯籠堂の前で酒宴を始めた。 家来たちの話から、その武士が、関白豊臣秀次であることがわかった。秀次は、叔父の秀吉から謀反の疑いをかけられ、この高野山に追放されて、切腹させられた人である。家来たちもまた、秀次とともに殉死した者たちであった。二人が見ているのは、亡霊たちの宴だったのである。 秀次は、夢然が句を詠んだことを知ると、夢然を呼び出して、連歌の相手をするよう命じた。夢然は、恐ろしさに震えながらも、句を付けた。宴が進むにつれて、亡霊たちの顔は、次第に殺気を帯びてきた。「修羅の時が来た」と誰かが言うと、亡霊たちは、刀を取って立ち上がった。家来の一人が、「この親子も、修羅の道へ連れて行こう」と言うと、夢然親子は、気を失って倒れてしまった。 気がつくと、夜が明けていた。夢然親子は、急いで山を下り、京へ帰っていったという。 ―――――――――――――――――――――――― 地点メモ:「仏法僧」— 夜の霊廟で豊臣秀次一行の亡霊の宴に出くわす。 ※この話は細部に記憶違いを含むおそれがあります。引用・公開の際は原典と照合してください。 出典作品:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E6%9C%88%E7%89%A9%E8%AA%9E