『遠野物語』 一七・一八 舞台:土淵村山口(ザシキワラシ)(岩手県) 成立:1910年 作者:柳田國男(語り手 佐々木喜善) ―――――――――――――――――――――――― 【原文】 一七 旧家にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童児なり。おりおり人に姿を見することあり。土淵村大字飯豊の今淵勘十郎という人の家にては、近きころ高等女学校にいる娘の休暇にて帰りてありしが、或る日廊下にてはたとザシキワラシに行き逢い大いに驚きしことあり。これは正しく男の児なりき。同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物しておりしに、次の間にて紙のがさがさという音あり。この室は家の主人の部屋にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思いて板戸を開き見るに何の影もなし。しばらくの間坐りて居ればやがてまた頻に鼻を鳴らす音あり。さては座敷ワラシなりけりと思えり。この家にも座敷ワラシ住めりということ、久しき以前よりの沙汰なりき。この神の宿りたもう家は富貴自在なりということなり。 ○ザシキワラシは座敷童衆なり。この神のこと『石神問答』中にも記事あり。 一八 ザシキワラシまた女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門という家には、童女の神二人いませりということを久しく言い伝えたりしが、或る年同じ村の何某という男、町より帰るとて留場の橋のほとりにて見馴れざる二人のよき娘に逢えり。物思わしき様子にて此方へ来たる。お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸の毒に中りて一日のうちに死に絶え、七歳の女の子一人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近きころ病みて失せたり。 【現代語訳(抄訳)】 古い家には、ザシキワラシという神が住んでいることが多い。たいてい十二、三歳くらいの子どもの姿で、ときどき人の前に現れる。 土淵村飯豊の今淵勘十郎の家では、高等女学校に通う娘が休みで帰っていたとき、廊下でばったりザシキワラシに出くわして、たいそう驚いた。まぎれもなく男の子だったという。 同じ村の山口の佐々木家では、母親がひとりで縫い物をしていると、隣の部屋で紙のがさがさいう音がした。そこは主人の部屋だが、主人は東京へ出かけていて留守だ。あやしいと思って板戸を開けたが、誰もいない。しばらく座っていると、今度はしきりに鼻を鳴らす音がする。さてはザシキワラシか、と思った。この家にザシキワラシがいることは、ずっと前から評判だった。 この神のいる家は、富み栄えて何不自由ないという。 *ザシキワラシは「座敷童衆」である。『石神問答』にもこの神の記事がある。 * ザシキワラシには女の子もいる。 山口の旧家、山口孫左衛門の家には、女の子の神が二人いると昔から言われていた。 ある年、同じ村の男が町からの帰り道、留場の橋のあたりで、見慣れない美しい娘二人に出会った。何か思いつめたようすでこちらへ歩いてくる。 「どこから来たんだ」 「おら、山口の孫左衛門のところから来た」 「これからどこへ」 「どこそこの村の、なにがしの家へ」 その家は、少し離れた村の、いまも羽振りのよい豪農だった。孫左衛門の家ももう終わりだな、と男は思った。 それからまもなく、孫左衛門の家では主人と使用人の二十数人が、きのこの毒にあたって一日のうちに死に絶えた。七歳の女の子がひとりだけ生き残ったが、その人も年老いて子もなく、最近病気で亡くなった。 ―――――――――――――――――――――――― 地点メモ:一七・一八 — 旧家に住む童子の神。去った家は滅びるという。 出典作品:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E9%87%8E%E7%89%A9%E8%AA%9E