文治元年(一一八五年)、頼朝と決定的に対立した義経は、都を落ちて西国を目指したが、大物浦で嵐にあって船が難破し、わずかな供とともに、大和の国の吉野山に逃げ込んだ。吉野山は、雪深い冬であった。
義経のそばには、愛する白拍子の静御前がいた。しかし、吉野山は女人禁制の霊山であり、また山の衆徒たちが義経を捕らえようと動き出していた。義経は、これ以上静を連れて行くことはできないと決心した。
義経は、静に金銀や衣を与え、数人の供をつけて、都へ帰らせることにした。静は、「どこまでもお供をさせてください」と泣いてすがったが、義経は涙ながらに振り切った。雪の中を、義経は山の奥へと去っていった。
ところが、静につけた供の者たちは、途中で静の持っていた財宝を奪って逃げてしまった。静は、ただ一人、雪深い吉野の山中をさまよい、ついに蔵王堂にたどり着いたところを、衆徒に捕らえられた。
静は鎌倉に送られ、頼朝の前で、義経の行方を厳しく問いただされた。そして、鶴岡八幡宮の社前で、舞を舞うよう命じられた。静は、頼朝や鎌倉の御家人たちが見つめる中、義経を慕う歌を歌いながら舞った。
「吉野山峰の白雪ふみ分けて入りにし人の跡ぞ恋しき」(吉野山の峰の白雪を踏み分けて、山の奥へと入っていったあの人の足跡が恋しい)
「しづやしづしづのをだまきくり返し昔を今になすよしもがな」(倭文の布を織る苧環の糸を繰るように、昔を今に繰り返す方法があればよいのに)
頼朝は、反逆者を慕う歌を歌ったことに激怒したが、妻の北条政子が「私も、あなたが流人であったとき、あなたを慕って、暗い夜道を迷い、雨をしのいで、あなたのもとへ行きました。静の心は、あのときの私と同じです」ととりなしたので、頼朝も怒りを鎮めたという。