卯の花山、倶利伽羅が谷を越えて、金沢に着いたのは、七月の半ばであった。ここに、大坂から通ってくる商人の何処という者がいて、同じ宿に泊まり合わせた。
一笑という者は、この道(俳諧)に熱心であるという評判がほのかに聞こえて、世間に知る人もいたが、去年の冬、若くして亡くなったので、その兄が追善の句会を催すにあたって、
「塚も動け我が泣く声は秋の風」(塚よ、動いてくれ。一笑の死を悼んで私が泣く声は、秋風となって吹きすさんでいる)
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ある草庵に招かれて、
「秋涼し手ごとにむけや瓜茄子」(秋の涼しさが感じられる。皆さん、それぞれの手で、ごちそうの瓜や茄子の皮をむいて味わおう)
途中吟、
「あかあかと日はつれなくも秋の風」(秋になったというのに、真っ赤な夕日は、そんなことにはおかまいなく照りつけて暑い。それでも吹く風には、確かに秋の気配が感じられる)
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小杉一笑は、金沢の俳人で、芭蕉を深く慕い、その来訪を心待ちにしていた。しかし、芭蕉が金沢に着いたときには、一笑は前年の冬、三十六歳の若さで亡くなっていた。芭蕉はそのことを金沢に来て初めて知り、深い悲しみに打たれた。
「塚も動け」という激しい呼びかけは、芭蕉の句の中でも最も慟哭に近いものである。一度も会うことのなかった弟子の死に、芭蕉は、秋風のような泣き声を上げたのである。一笑の菩提寺である金沢市の願念寺には、この句の句碑が立っている。
金沢は、加賀百万石の城下町である。芭蕉は、ここで十日ほど滞在し、多くの俳人と交流した。のちに加賀の俳諧は大いに栄え、北枝、千代女など、多くの俳人を生むことになる。