熟田津で船に乗り込もうと月の出を待っていると、月も昇り、潮の具合もちょうどよくなった。さあ、今こそ漕ぎ出そう。
斉明天皇の七年正月、百済救援のため筑紫へ向かう天皇の船団は、伊予の熟田津に立ち寄り、石湯の行宮にしばらく滞在した。この歌は、その熟田津からいよいよ船出するときに詠まれたものである。
夜の船出には、月の光と満ち潮が欠かせない。満月が昇り、潮が満ちてきたその瞬間をとらえて、「今は漕ぎ出でな」と力強く呼びかける。大勢の兵士や漕ぎ手の心を一つにし、船団を送り出す号令のように響く歌であり、額田王は天皇に代わってこの歌を詠んだのだろうと考えられている。
ただし、この歌の左注には、山上憶良の『類聚歌林』を引いて、斉明天皇がかつて夫の舒明天皇とともにこの地を訪れたことを思い出し、その懐かしさから詠んだ天皇自身の歌であるという説も記されている。
熟田津の位置ははっきりしないが、松山市の三津浜や道後温泉の周辺、あるいは古三津のあたりなど、いくつもの候補地がある。いずれにせよ、この一首は、万葉集の中でもとりわけ堂々とした響きをもつ歌として愛され、道後温泉には今も歌碑が建てられている。月明かりの海へと漕ぎ出す船団の姿は、やがて白村江の敗戦へと続く、古代国家の大きな転換点の前夜の光景でもあった。