【逢坂で人と別れたときに詠んだ歌】
逢坂の関が、その名のとおり本当に「人に逢う」関所であるならば、名残惜しいまま別れていくあなたを、どうか引き留めておくれ。
【題しらず】
逢坂の木綿つけ鳥も、私と同じように人が恋しいのだろうか。声を上げて鳴いてばかりいる。
逢坂の関は、山城国と近江国の境、今の京都府と滋賀県の境にあった関所である。都から東国や北陸へ向かう旅人は、必ずこの関を越えなければならなかった。そのため逢坂は、都と地方、別れと再会の境目として、多くの歌に詠まれた歌枕である。
「逢坂」という地名には「逢ふ」という言葉が含まれている。歌人たちはこれを掛詞として、人に逢えるはずの坂なのに別れなければならない、という皮肉や、恋しい人に逢う道として詠んだ。「木綿つけ鳥」は、世の乱れのときに逢坂など四つの関で木綿をつけた鶏を放って祓えをしたことに由来するといわれる鶏の呼び名である。
仮名序にも「逢坂山に至りて手向けを祈り」とあるように、旅人は関の峠で道の神に幣を手向けて、旅の無事を祈った。のちの『後撰和歌集』には、蝉丸の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」の歌が採られ、百人一首を通じてさらに有名になった。行く人も帰る人も、知る人も知らぬ人も、別れてはまた逢う。逢坂の関は、人の世の出会いと別れそのものを映す場所であった。