どの帝の御代であったか、女御や更衣が大勢お仕えしていらっしゃった中に、それほど高貴な身分ではない方で、とりわけ帝のご寵愛を受けていらっしゃる方があった。
宮仕えの初めから、自分こそはと自負していらっしゃった方々は、この方を気に食わない者として、さげすみ、ねたみなさる。同じ身分の者、それより低い身分の更衣たちは、なおさら心穏やかではない。朝夕の宮仕えにつけても、人の心を動揺させてばかりいて、恨みを受けることが積み重なったせいであろうか、この更衣はひどく病がちになり、何となく心細そうに実家に下がりがちであった。帝はますますいとおしくお思いになって、人の非難もお気になさらず、世間の語りぐさにもなりそうなご待遇である。
前世からの宿縁も深かったのであろうか、この世にまたとないほど美しい玉のような男の皇子までもお生まれになった。第一皇子は右大臣の娘である弘徽殿の女御のお生まれで、疑いなく世継ぎの君と世間で大切に申し上げているが、この皇子の輝くような美しさには並ぶべくもなかった。
更衣への嫌がらせは激しくなり、通り道の廊下に汚物をまかれたり、戸を閉ざされて閉じ込められたりもした。やがて更衣は重い病に伏し、皇子が三歳の夏、宮中を退出したその夜に亡くなった。
帝は悲しみに沈まれた。成長した皇子は、あまりに美しく賢かったが、後ろ盾のない皇子が帝位を望めば争いの種になる。帝は高麗の人相見の言葉も踏まえて、皇子を臣下に下し、源の姓をお与えになった。世の人は、その美しさを「光る君」と呼んだ。