祇園精舎の鐘の音には、すべてのものは移り変わるという響きがある。釈迦が亡くなったときに白く色を変えたという沙羅双樹の花の色は、勢いの盛んな者も必ず衰えるという道理を表している。おごり高ぶっている人も長くは続かない、ただ春の夜の夢のようなものだ。勇ましく強い者も最後には滅んでしまう、まったく風の前の塵と同じである。
遠く外国の例を尋ねると、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の安禄山、これらはみな、旧主や先皇の政治にも従わず、楽しみを極め、諫めも聞き入れず、天下が乱れることも悟らず、民衆の憂えることも知らなかったので、長くは続かず、滅んでしまった者たちである。近く我が国の例を尋ねると、承平の平将門、天慶の藤原純友、康和の源義親、平治の藤原信頼、これらはおごる心も猛々しいことも、みなそれぞれであったけれども、すぐ最近では、六波羅の入道、前太政大臣平朝臣清盛公と申した人の有様を伝え聞くと、想像することも言葉で言い表すこともできない。
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清盛は、平治の乱に勝利して以来、太政大臣にまで上り、一門の者もみな高位高官に就いた。清盛の妻の弟である平時忠は、「この一門でない者は、みな人ではない」と言い放った。世の人は、平家の真似をして、烏帽子の折り方や衣の着方まで「六波羅風」と言ってもてはやした。
清盛は、十四、五、六歳の少年を三百人選んで、髪を禿(おかっぱ)に切りそろえ、赤い直垂を着せて、京中に放った。平家の悪口を言う者があれば、仲間を呼び集めてその家に押し入り、家財を奪い、その者を捕らえて六波羅へ連行した。そのため、目に見て心に思うことがあっても、口に出して言う者はいなかった。鴨川の東、六波羅の地には、平家一門の邸宅が軒を連ね、その栄華は頂点に達していた。