壇ノ浦で入水した建礼門院徳子(清盛の娘で安徳天皇の母)は、源氏の兵に熊手で髪をかけられて引き上げられ、ただ一人生き残った。都に戻された女院は出家し、やがて洛北の大原の山里にある寂光院に移り住んで、亡き我が子と一門の菩提を弔う日々を送った。
文治二年(一一八六年)の晩春、後白河法皇が、女院の住まいをお訪ねになった。遠くの山にかかる白雲は、散った花の名残を思わせ、青葉の梢には、春の名残が惜しまれる。庭の若草が茂り合い、青柳の糸が風に乱れ、池の浮き草が波に漂う。岸の藤は紫に咲き、八重山吹が咲き乱れている。
女院の庵は、軒には蔦や朝顔がはい、忍ぶ草に混じって忘れ草が生えている。竹の柱は苔むし、屋根の隙間からは月の光が漏れ入る。女院は花を摘みに山に入っていて、しばらくして、墨染めの衣をまとい、花籠を持った姿で戻ってこられた。
法皇の前で、女院は、自らの生涯を六道になぞらえて語った。清盛の娘として生まれ、帝の后となり、天子の母となった栄華は天上界。都を落ちて海の上をさまよった日々の悲しみは人間界。食べる物も水もなかったのは餓鬼道。一ノ谷以来の戦いは修羅道。そして壇ノ浦で、我が子や母が海に沈むのを見たのは地獄道であった。「このような身の上であればこそ、六道のすべてを、生きながら見たのでございます」。
法皇も、お供の人々も、みな涙に袖を濡らした。夕日が傾き、寂光院の鐘の音が響く中、法皇は都へお帰りになった。
建久二年(一一九一年)二月、女院は、西に向かって阿弥陀仏の名を唱えながら、静かに息を引き取られた。紫の雲がたなびき、妙なる香りが庵に満ちたという。こうして『平家物語』は、祇園精舎の鐘の音に始まり、寂光院の鐘の音に終わるのである。