【序】
そもそも申楽延年の芸の起こりを尋ねると、あるいは仏の国から伝わり、あるいは神代から伝わったものであるが、時代が移り、隔たってしまったので、その根本を学ぶ力は及ばない。近頃、万人がもてはやしているのは、推古天皇の御代に、聖徳太子が秦河勝に命じて、天下安全のため、また人々を楽しませるために、六十六番の遊宴を作らせ、申楽と名づけたのが始まりである。以来、代々の人が、風月の景色を借りて、この遊びの仲立ちとしてきた。その後、河勝の子孫が代々この芸を受け継いで、春日大社や日吉大社の神職として仕えてきた。それゆえ、大和と近江の申楽の座は、今も両社の神事に奉仕することが盛んである。
【年来稽古条々】
七歳。この芸では、だいたい七歳を稽古の始めとする。この頃の稽古は、自然にしていることの中に、必ず生まれつきの良さがあるものだ。良いとか悪いとか教えてはいけない。あまりにやかましく注意すると、子どもはやる気をなくして、能がそのまま止まってしまう。
十二、三歳から。声も調子に合い、能も分かってくる頃である。何をしても幽玄である。しかし、この花は本当の花ではない。ただ一時の花である。
二十四、五歳。この頃、一生の芸能が定まる初めである。人も褒め、名人に勝つこともあるが、これも一時の珍しさの花である。これを本当の花と思い込むのは、まことの花から遠ざかる心である。「初心」を忘れてはならない。
【別紙口伝】
秘する花を知ること。秘密にしておくからこそ花なのであり、秘密にしなければ花にはならない。この区別を知ることが、花を知るうえで最も大切である。そもそも、どの道でも、家々に秘事というものがあるのは、秘密にすることによって大きな効果があるからである。
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世阿弥は、父の観阿弥とともに、大和の国の結崎を拠点とする結崎座(のちの観世座)の役者であった。大和猿楽の四座は、奈良の興福寺と春日大社の神事に奉仕する座であり、毎年二月の薪能(薪猿楽)や、十一月の春日若宮おん祭で能を演じることが、座の重要な務めであった。『風姿花伝』は、父から受け継いだ教えをもとに、世阿弥が三十代から四十代にかけて書き記した、日本最古の演劇論である。