七 醍醐天皇

大鏡 原文
原文現代語訳

六十代(今の聖代桓算の事北野の御事をぞ世の中に申しつたへためる。)

次の御門、醍醐天皇と申しき。御諱敦仁。是亭子太上法皇の第一の王子におはします。御母贈皇太后宮胤子と申しき。內大臣高藤(此人は勸修寺の氏のはしめ)このおとゞの御女なり。この御門、仁和元年乙巳正月十八日に生れ給ふ。寬平五年みづのとのうし四月二日に東宮に立たせ給ふ。御年九歲。同七年乙卯正月十九日、十一歲にて御元服。又同九年丁巳七月三日位に即かせ給ふ。御年十三。やがて今宵よるのおとゞより俄に御かうぶり奉りて、さしいでおはしましたりける。御手づからわざと人の申すはまことにや。さて世を保たせ給ふ事三十三年。この御年ぞかし、村上か朱雀院か生れおはしましたる御いかのもちひ殿上に出させ給へるに、伊衡の中將、和歌つかうまつり給へるとぞおぼゆめる。

「一とせにこよひかぞふる今よりはもゝとせまでの月かげを見む」

とよむぞかし。御かへし、御門のしおはしましけむかたじけなさよ。

「祝ひつることたまならばもゝとせののちもつきせぬ月をこそみめ」。

御集など見給ふるにぞ、いとなまめかしうかやうの方さへおはしましける。(延長八年九月廿五日おりさせ給ふ。おなじ八日うせさせ給ふ。陵山科にあり。後の山科といふ。この時ぞかし。)

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