四十一 後一条院崩御ののち

大鏡 現代語訳
原文現代語訳

「かけまくもかしこき君が雲のうへにけぶりかゝらむものとやは見し(口にするのも恐れ多い帝が、雲の上に煙となってかかろうとは、思ってもみなかった)」。

五月ごろ、郭公をお聞きになって女院(彰子)が、

「ひとことを君につげなむほとゝぎすこのさみだれはやみにまどふと(ひと言だけ亡き君に告げておくれ、郭公よ。この五月雨のころ、わたしは闇に迷っていると)」。

このご悲嘆のために源中納言顕基の君が出家なさって後、女院に申し上げなさった歌、

「身をすてゝ宿をいでにし身なれどもなほこひしきはむかしなりけり(身を捨てて家を出た身ではあるけれど、やはり恋しいのは昔のことだった)」。

ご返歌、

「時のまもこひしきことのなぐさまば世はふたゝびもそむかれなまし(ほんのしばらくでも恋しい思いが慰められるなら、わたしも世を二度でも背くことでしょう)」。

その時はこのようなことが多く聞こえましたが、いちいち申し上げることはできません。後朱雀院が位にお即きになって、そうはいっても華やかにすばらしく世に重んじられなさったのも、しばらくの間でした。一の宮の方にいらっしゃった一品の宮(禎子)が后にお立ちになります。後三条院がお生まれになったので、だからこそ昔の夢はむなしくなかったのですよ。(禎子は)後の世をお伝えになるはずの方でいらっしゃると世継が申されました。今の后(嫄子)は弘徽殿にいらっしゃり、東宮(後冷泉)は梅壺にいらっしゃって、先帝(後一条)の一品の宮(章子)が東宮に入内なさって藤壺にいらっしゃって、女院もお入りになって、ご一緒にお育て申し上げなさった宮たちを、どなたも心配なく拝見なさるめでたさにも、故院がいらっしゃらない嘆きは尽きないとお思いになっていました。関白殿(頼通)が養女になさった故式部卿の宮(敦康親王)の姫君(嫄子)が入内なさって、弘徽殿にいらっしゃるはずだというので、前もって后の宮(禎子)が退出なさったのは、どれほど心穏やかでなくお思いになったことだろうと、世の人は気の毒がり申し上げました。

明日退出なさろうというので(帝の御前に)お上りになって、帝が何と申し上げなさったのでしょうか、宮が、

「今はたゞくもゐの月をながめつゝめぐりあふべきほどもしられず(今はただ宮中の月を眺めながら、また巡り会える時もわかりません)」。

この宮には女宮がお二人いらっしゃいます。斎宮と斎院にお立ちになって、たいそう寂しく宮たちが恋しく、世の中もつまらなくお思いになっているところに、五月五日に内裏から、

「もろともにかけしあやめの根をたえてさらにこひぢに惑ふ頃かな(一緒に掛けたあやめの根が絶えるように仲が絶えて、いっそう恋の泥道に迷うこのごろだ)」。

ご返歌、

「かたがたにひき別れつゝあやめ草あらぬ根をやはかけむと思ひし(あちこちに引き別れながら、あやめ草よ、ほかの根〈ほかの人〉に心をかけようなどと思ったでしょうか)」。

殿(頼通)のお扱いがいたたまれずわずらわしくて、久しく参内なさいません。けれどもこの宮がいらっしゃることこそ頼もしいことで、今の宮(後三条)に男皇子がお生まれになっては、疑いのない次の帝の君だとお思いになったのはもっともです。よい女房が多く、出羽の少将・小弁・小侍従などといって、字を書き歌を詠むなどして華やかに、すばらしくお仕えしております』。

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