第38話日記・紀行抄訳
一月十二日〜二十日(室津での風待ち)
正月十二日、雨は降らない。奈半の泊を追って、室津に着いた。
それからの日々は、風や波が荒くて船を出すことができず、何日も室津にとどまることになった。十三日の明け方、少し雨が降ったがすぐにやんだ。女たちは、湯あみなどをしようと、近くの手ごろな所に下りていく。海を見やると、「雲もみな波とぞ見ゆる海人もがないづれか海と問ひて知るべく」(雲もすべて波のように見える。漁師がいてくれればいいのに、どちらが海かと尋ねて知ることができるように)。
日数ばかりが過ぎていくので、人々はみな嘆いている。「いつになったら京に着けるのか」と気をもむ。年が明けてもう半月、正月の行事もろくにできない。
二十日の夜、月が出た。山の端もなくて、海の中から月が出てくる。こういうのを見て、昔、阿倍仲麻呂という人は、唐に渡って日本へ帰ってこようとしたとき、船に乗る所で、あちらの国の人々が送別の宴を開き、別れを惜しんで漢詩を作ったりしていた。いつまでも去りがたく思っていたところ、二十日の夜の月が出るまでそこにいた。その月は海から出たのである。これを見て仲麻呂は、「私の国では、こういう歌を、神代から神もお詠みになり、今では上中下の人も、別れを惜しんだり、喜んだり、悲しいときに詠むのです」と言って詠んだ歌。
「青海原を遠く見渡すと、今見ている月は、故郷の春日にある三笠の山に出たのと同じ月なのだなあ」
唐の人には分からないだろうと思ったが、歌の意味を漢字で書いて伝えると、心を理解したのか、たいそう感心した。唐とこの国とは言葉は違うけれども、月の光は同じであるから、人の心も同じなのだろう。