第64話日記・紀行抄訳
「富士川」
富士の山は、駿河の国にある。私が生まれ育った上総の国では、西の方に見えた山である。その山の様子は、たいそう世にも珍しい。ほかの山とは違う姿で、紺青を塗ったような山に、雪が消える時もなく積もっているので、濃い紫の衣の上に白い衵を着ているように見えて、山の頂の少し平らな所から、煙が立ち上っている。夕暮れには火が燃え立つのも見える。
清見が関は、片方は海で、関所の建物がたくさんあって、海まで柵を造ってある。煙が立ち合って潮煙と混じるのだろうか、清見が関の波も高くなるに違いない。趣深いことこの上ない。
富士川という川は、富士の山から流れ落ちてくる水である。その国の人が出てきて語るには、「ある年、よそに出かけていたとき、暑かったので、この川のほとりで休みながら見ていると、川上から黄色い物が流れてきて、物に引っかかって止まったのを見ると、反故紙であった。取り上げて見ると、黄色い紙に、朱で濃く、きちんと字が書いてある。
不思議に思って見ると、来年国司になるはずの国々を、除目のように、全部書いて、この国も来年は国守が変わるので、国守を書いて、また別の人の名を書き添えて、二人書いてあった。
不思議なことだと思って、取り上げて、干してしまっておいたところ、翌年の除目で、この紙に書いてあったとおりに、少しも違わず、この国の国守には最初に書いてあった人がなったが、三か月のうちに亡くなって、また書き添えてあった人がなったのであった。こういうことがあったのです。来年の国司を、今年この山に、たくさんの神々が集まって、お決めになるのだと分かりました。珍しいことですね」と語った。