第80話軍記物語抄訳・要確認
巻五「都遷」・巻二ほか(厳島信仰)
平清盛が安芸守であったころ、高野山の大塔の修理を命じられた。その完成の日、清盛が奥の院に参ると、どこからともなく眉の白い老僧が現れて、「安芸の厳島を修理なされば、必ず官位の昇進は肩を並べる者がないほどになりましょう」と言って姿を消した。これは弘法大師のお告げであったという。
清盛はこれを信じて、厳島の社殿を造り替え、海の上に朱塗りの回廊を巡らせた、壮麗な社を築いた。以来、平家一門は厳島明神を篤く崇め、清盛はたびたび参詣した。一門の人々が書写して奉納した『平家納経』は、金銀をちりばめた華麗な経巻で、今も厳島神社に伝わる国宝である。
治承四年(一一八〇年)、清盛の娘である中宮徳子が産んだ安徳天皇が即位すると、譲位した高倉上皇は、慣例を破って、最初の御幸に厳島を選ばれた。都の人々は、「石清水や賀茂、春日ではなく、なぜ遠い安芸の国の神なのか」と不審がったが、それは清盛の意向によるものであった。上皇は福原から船で瀬戸内海を渡り、厳島に参詣された。
平家が栄えたのは、この厳島明神の加護によるものと信じられていた。海の上に浮かぶように立つ朱の大鳥居と社殿は、瀬戸内の海を支配した平家の力の象徴でもあった。しかし、その平家も、やがて同じ瀬戸内の海の果て、壇ノ浦で滅びることになる。
『平家物語』巻七の「竹生島詣」、巻三の「足摺」など、物語には各地の神仏への祈りが繰り返し描かれる。厳島は、その中でも平家の盛衰と最も深く結びついた社であった。