第97話軍記物語抄訳

太平記

巻十六「正成兵庫に下向し子息に遺訓の事」「正成兄弟討死の事」

舞台 湊川(兵庫県)
成立 1370年頃 作者 小島法師ほか(諸説)

原文七生までただ同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさばやとこそ存じ候へ。

現代語訳

建武三年(一三三六年)、建武の新政に背いた足利尊氏は、一度は九州に落ちたが、大軍を率いて再び京へ攻め上ってきた。楠木正成は、「帝はいったん比叡山にお移りになり、敵を京に引き入れてから、挟み撃ちにしましょう」と献策したが、公家たちに退けられ、兵庫に下って尊氏を迎え撃てと命じられた。正成は、これが最後の戦いになると覚悟した。

正成は、兵庫へ向かう途中、摂津の国の桜井の宿で、十一歳になる嫡子の正行を呼んで言った。「今度の合戦は、天下の分かれ目である。私が討ち死にしたと聞いたら、天下は必ず将軍(尊氏)のものになると思え。しかし、一時の命を惜しんで、長年の忠義を捨てて降参してはならない。一族のうち一人でも生き残る者があれば、金剛山に立てこもって、命を捨てて防げ。それこそが、父への一番の孝行である」。そう言い聞かせて、正行を河内へ帰した。

五月二十五日、湊川で決戦が行われた。正成は、わずか七百余騎で、尊氏の数十万の大軍に向かっていった。六時間に及ぶ激戦の末、正成の兵は七十三人にまで減り、正成自身も十一か所の傷を負った。

正成は、湊川の北にある民家に入り、弟の正季と向かい合った。正成が「最期の一念によって、来世の生が決まるという。九界のうち、何を望むか」と問うと、正季はからからと笑って、「七たび生まれ変わっても、ただ同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼしたいと思います」と答えた。正成は「罪深い願いだが、私もそう思う。さあ、生まれ変わってその本懐を遂げよう」と言って、兄弟刺し違えて死んだ。一族十三人、家来六十余人も、みなその場で腹を切った。

神戸市の湊川神社には、正成の墓がある。徳川光圀が建てた墓碑には「嗚呼忠臣楠子之墓」と刻まれている。

地点メモ:正成が足利尊氏の大軍に挑み、弟正季と「七生報国」を誓って自害する。
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