第119話日記・紀行抄訳

おくのほそ道

序章・旅立ち

舞台 深川・採荼庵(東京都)
成立 1702年刊(1689年の旅) 作者 松尾芭蕉

原文月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

現代語訳

月日は永遠に旅を続ける旅人であり、来ては去っていく年もまた旅人である。舟の上で一生を送る船頭や、馬のくつわを取って老いを迎える馬子は、毎日が旅であって、旅を住まいとしている。昔の人も、多く旅の途中で死んでいる。

私もいつの年からか、ちぎれ雲が風に誘われるように、さすらいの思いがやまず、海辺をさまよい歩き、去年の秋、隅田川のほとりのあばら家に戻って、蜘蛛の古巣を払って住んでいたが、しだいに年も暮れ、春になって霞の立ちこめる空を見ると、白河の関を越えたいと、そぞろ神がとりついたように心を狂わせ、道祖神が招いているようで、何も手につかない。

股引の破れを繕い、笠の緒を付け替えて、三里(膝下のつぼ)に灸をすえるやいなや、松島の月がまず気にかかって、住んでいた庵は人に譲り、杉風の別荘に移るにあたって、

「草の戸も住み替はる代ぞ雛の家」(わびしい草庵も、住む人が替わる時が来た。これからは雛人形を飾る華やいだ家になるのだろう)

*

弥生も末の七日(三月二十七日)、明け方の空はおぼろにかすんで、有明の月は光が薄らいでいるものの、富士の峰がかすかに見えて、上野や谷中の桜の梢を、またいつ見られるだろうかと心細い。親しい人々はみな前の晩から集まって、舟に乗って見送ってくれる。千住という所で舟から上がると、前途三千里の思いで胸がいっぱいになって、はかないこの世の別れの道に、涙を流した。

「行く春や鳥啼き魚の目は泪」(過ぎ去ろうとする春を惜しんで、鳥は鳴き、魚の目には涙が浮かんでいるようだ)

元禄二年(一六八九年)、芭蕉四十六歳。門人の曾良を伴って、深川の芭蕉庵から、約百五十日、六百里(約二千四百キロ)に及ぶ旅に出た。

地点メモ:旅立ち。「草の戸も住み替はる代ぞ雛の家」。
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