第124話日記・紀行抄訳
「立石寺」
山形領に立石寺という山寺がある。慈覚大師の開基で、とりわけ清らかで静かな所である。一度は見ておくがよいと、人々が勧めるので、尾花沢から引き返して、その間七里ほどである。
日はまだ暮れていない。ふもとの宿坊に宿を借りておいて、山上の堂に登る。岩に岩を重ねて山とし、松や檜は年を経て、土や石も古びて苔がなめらかに覆い、岩の上に建てられたお堂はみな扉を閉じて、物音一つ聞こえない。崖の周りを巡り、岩を這うようにして仏閣を拝むと、すばらしい景色はひっそりと静まり返って、心が澄みきっていくのが感じられる。
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」(なんという静けさだろう。その静けさの中で、蝉の声だけが岩にしみ入るように聞こえてくる)
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立石寺は、山形市の東北にある天台宗の寺で、「山寺」の名で親しまれている。貞観二年(八六〇年)、慈覚大師円仁が開いたと伝えられ、比叡山延暦寺から分けられた「不滅の法灯」が、今も根本中堂にともされ続けている。ふもとの登山口から奥の院まで、千段余りの石段が続き、途中には、芭蕉の句をしたためた短冊を埋めたという「せみ塚」がある。
この句は、はじめは「山寺や石にしみつく蝉の声」、次に「さびしさや岩にしみ込む蝉のこゑ」と推敲を重ねて、今の形になったとされる。
この句に詠まれた蝉が何蝉かをめぐって、昭和の初めに、歌人の斎藤茂吉と、漱石門下の小宮豊隆との間で論争が起こった。茂吉はアブラゼミを、小宮はニイニイゼミを主張した。茂吉は実地調査まで行い、最終的に、芭蕉が訪れた陽暦七月十三日ごろに鳴いているのはニイニイゼミであるとして、自説を撤回した。