江戸時代、人々の着る物は、麻から木綿へと大きく変わっていった。木綿は、麻よりも暖かく、肌ざわりがやわらかく、染めやすい。河内や摂津、大和などの畿内では、田を畑にして木綿を作る農家が多く、木綿は米と並ぶ大切な作物となっていた。
『農業全書』は、木綿を、藍・紅花とともに「三草」の一つとして取り上げ、その作り方を詳しく記している。おおよそ次のとおりである。
木綿は、よく肥えた、水はけのよい砂まじりの土を好む。畑は、冬のうちから深く耕しておき、肥料を十分に施す。
種は、前の年によく実った綿の実から選んでおく。種をまく前に、水に浸したり、灰をまぶしたりして、芽が出やすいようにする。種まきは、春の終わり、霜の心配がなくなったころに行う。
芽が出たら、弱い苗を間引いて、丈夫な苗を残す。夏の間は、何度も草を取り、土寄せをする。枝が伸びすぎると実がつきにくくなるので、枝の先を摘み取って、実に力が回るようにする。
秋になると、実がはじけて、白い綿が顔を出す。晴れた日に、一つ一つ手で摘み取る。雨にぬれると綿が傷むので、天気をよく見て摘むのがよい。
木綿作りには手間がかかるが、その分、よい収入となる。安貞は、このような商品作物の作り方も丁寧に記し、農民の暮らしを豊かにしようとした。