宮崎安貞は、四十年近くの経験と見聞をまとめて『農業全書』を書き上げた。原稿の整理と補筆には、福岡藩の儒学者、貝原益軒の兄、貝原楽軒が力を貸した。益軒自身も序文を寄せ、この書を世に送り出す後押しをした。
益軒は、序文でおおよそ次のように述べている。
古来、中国には農業の書が多くあるが、日本には、農業のことを詳しく記した書がほとんどない。日本の風土は中国とは異なり、中国の書をそのまま用いることはできない。宮崎安貞は、長年、自ら田畑を耕し、諸国を巡って老農に尋ね、中国の書も参考にして、日本の風土に合った農業の方法をまとめた。この書は、農民にとってまことに役立つものである。
元禄十年(一六九七年)、『農業全書』十巻(付録一巻を合わせて十一巻)は、京都の書肆から刊行された。安貞は、その年の夏、刊行を見届けるかのように、七十五歳で世を去った。
『農業全書』は、日本で初めて出版された本格的な農書として、たちまち広く読まれた。水戸藩の徳川光圀は、この書を読んで、「これは人の世に一日もなくてはならない書である」とたたえたと伝えられる。
その後、江戸時代を通じて版を重ね、各地で、その土地に合わせた農書が次々と書かれるきっかけとなった。八代将軍吉宗の時代にも、農業を奨励する書として重んじられた。