酒田の人々との名残を惜しんで日を重ね、北陸道の雲のかなたを眺めやると、はるかな旅の思いに胸が痛み、加賀の国府(金沢)まで百三十里と聞く。鼠の関を越えると、越後の地に足を踏み入れ、越中の国の市振の関に着いた。この間九日、暑さと雨の苦労で神経をすり減らし、病気も起こって、書き記さなかった。
「文月や六日も常の夜には似ず」(七月六日の今夜は、明日が七夕だと思うと、いつもの夜とは違って感じられる)
「荒海や佐渡に横たふ天の河」(荒々しい日本海の向こうに佐渡島が見える。その佐渡へ向かって、空には天の川が大きく横たわっている)
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この句は、越後の出雲崎で詠まれたとされる。出雲崎は、佐渡の金山から産出した金銀が陸揚げされる港として栄え、北国街道の宿場町でもあった。
佐渡島は、古くから流刑の島であった。順徳上皇、日蓮、世阿弥など、多くの人々が、この島に流されて、生涯を終えたり、長い年月を過ごしたりした。荒波の向こうに浮かぶ佐渡は、そうした流人たちの悲しみを宿した島であった。
七夕の夜、牽牛と織女は天の川を渡って年に一度の逢瀬を果たす。しかし、荒海に隔てられた佐渡の流人たちは、故郷の家族と会うことはかなわない。天の川と荒海、天上の恋と地上の別れ。壮大な自然の景色の中に、人の世の悲しみが重ねられている。
実際には、芭蕉が出雲崎に泊まった夜は雨で、天の川は見えなかったとも言われ、また七月の天の川は佐渡の方角には横たわらないとも言われる。この句は、実景を超えた、芭蕉の心の中の景色なのかもしれない。出雲崎には、芭蕉が泊まったと伝える宿の跡に「芭蕉園」があり、句碑が立っている。