【天平勝宝二年三月一日の夕べ、春の苑の桃と李の花を眺めて作った歌】
春の庭園は紅に照り映えている。桃の花の下まで赤く照らされた道に、ふと出て立つ少女よ。
【堅香子草の花を手折った歌】
もののふの八十という言葉のように、大勢の少女たちが入り乱れて水を汲む、寺の井戸のほとりに咲く、堅香子(かたくり)の花よ。
大伴家持は二十九歳で越中守となり、五年間を越中国府(今の富山県高岡市伏木)で過ごした。都を遠く離れた北陸の地で、家持は立山や二上山、奈呉の海などの雄大な自然に出会い、およそ二百二十首もの歌を残した。万葉集全体の歌の中でも、越中時代の家持の歌は特に多い。
桃の花の歌は、一面の紅に染まる春の庭と、その中にたたずむ少女とを、一幅の絵のように描き出している。中国の樹下美人図を思わせる華やかな構図で、家持の歌の中でも特に色彩豊かな一首として知られる。
一方、堅香子の歌は、雪国の早春、寺の井戸に水を汲みに集まる少女たちのにぎやかな声と、足もとにうつむいて咲く薄紫の小さな花とを重ね合わせている。かたくりは北国の春を告げる花で、都ではあまり見られなかった。見慣れない花に目を留めた家持の新鮮な驚きが伝わってくる。
この二首が詠まれた三月一日からの数日間に、家持は立て続けに多くの歌を作っており、越中での歌作の頂点をなしている。