【山部赤人が富士山を望んで作った歌】
天と地が分かれた遠い昔から、神々しく、高く貴い駿河の富士の高嶺。その山を大空はるかに振り仰いで見ると、空を渡る太陽の光も山に隠れ、照る月の光も見えない。白い雲も行く手をはばまれてとどまり、季節を問わずいつも雪が降っている。この富士の高嶺のことは、いつまでも語り継ぎ、言い継いでいこう。
【反歌】
田子の浦を通って、見晴らしのよい所に出て見ると、真っ白に、富士の高嶺に雪が降り積もっていることだ。
山部赤人は、柿本人麻呂と並び称される宮廷歌人で、のちに「歌聖」と仰がれた。この歌は、赤人が東国へ向かう旅の途中、駿河の田子の浦で富士山を仰いだときの作と考えられる。
長歌では、天地開闢以来の神聖さ、太陽も月も隠すほどの高さ、雲さえ越えられない雄大さを重ねて、富士を神の山としてたたえている。反歌では一転して、視界が開けた瞬間に目に飛び込んできた、真っ白な雪の富士を鮮やかに描く。「うち出でて見れば」という言葉に、海沿いの道を抜けたときの驚きと感動がこもっている。
この反歌は、のちに『新古今和歌集』や百人一首に「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」として採られ、広く親しまれた。『万葉集』には富士を詠んだ歌が十首余りあり、その多くが、当時は噴煙を上げていた富士の神秘と畏れを伝えている。