平安京・内裏

仮名序(紀貫之)
原文
やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。

和歌というものは、人の心を種として、それが芽吹き、さまざまな言葉の葉となって茂ったものである。この世に生きる人々は、関わり合う事柄がたいへん多いので、心に思うことを、見るもの聞くものに託して言い表すのである。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもので、どれが歌を詠まないことがあろうか。

力を入れずに天地を動かし、目に見えない鬼神をもしみじみと感じ入らせ、男女の仲をもうちとけさせ、勇猛な武士の心をもなごませるのは、歌なのである。

この歌は、天地が開けたときから生まれていた。しかし世に伝わるところでは、天上では下照姫に始まり、地上ではスサノオノミコトから始まった。神代には歌の文字数も定まらず、素直で、言葉の意味も分かりにくかったが、人の世となってスサノオのときから三十一文字で詠むようになったのである。

(中略)

延喜五年四月十八日、醍醐天皇は、大内記紀友則、御書所預紀貫之、前甲斐少目凡河内躬恒、右衛門府生壬生忠岑に命じて、『万葉集』に入らなかった古い歌や、自分たちの歌をも献上させられた。それらを梅の枝を髪に挿す春から、ほととぎすを聞く夏、紅葉を折る秋、雪を見る冬まで、また鶴や亀に託して君を祝い人を祝う賀の歌、秋萩や夏草を見て妻を恋う歌、逢坂山で手向けをして旅の無事を祈る歌など、部立てを分けて集め、全部で千首、二十巻とし、『古今和歌集』と名づけた。

人麻呂は亡くなったけれども、歌の道はここに残っている。たとえ時が移り、事が過ぎ去り、楽しみや悲しみが行き交おうとも、この歌の文字は残るであろう。

平安京・内裏 醍醐天皇の勅命により宮中で撰進される。