吉野山

春歌上・60(紀友則)/冬歌・332(坂上是則)
原文
み吉野の山べに咲ける桜花雪かとのみぞあやまたれける

【寛平御時后宮歌合の歌 紀友則】
吉野の山のあたりに咲いている桜の花は、まるで雪ではないかとばかり見間違えてしまうことだ。

【大和国に行ったとき、雪が降っているのを見て詠んだ歌 坂上是則】
ほのぼのと夜が明けるころ、有明の月の光かと見まがうほどに、吉野の里に白く降り積もっている雪よ。

吉野は、奈良時代までは、天武天皇や持統天皇が繰り返し行幸した離宮の地であり、『万葉集』では清らかな川と山の神仙境として詠まれていた。しかし平安時代の『古今和歌集』になると、吉野は都から遠い、雪深い山里として詠まれるようになる。「み吉野の山の白雪」といえば、冬の厳しさと、人の訪れもない寂しさの象徴であった。

紀友則の歌は、その「雪の吉野」のイメージを踏まえて、白く咲き満ちる桜を雪に見立てたものである。花を雪に、雪を花に見立てる技法は『古今和歌集』に多く見られ、知的で優美な表現として好まれた。やがて吉野は、雪の名所から、桜の名所へと姿を変えていく。後の時代、西行は吉野の桜を愛して多くの歌を詠み、豊臣秀吉は吉野で盛大な花見を催した。

坂上是則の歌は、夜明けの薄明かりの中、あたり一面が白く光っているのを見て、月の光かと思ったら雪だった、という驚きを詠む。のちに百人一首にも選ばれた。月の光と雪の白さを重ねるこの見立てもまた、『古今和歌集』らしい美意識をよく表している。

吉野山 「み吉野の山べに咲ける桜花雪かとのみぞあやまたれける」など、桜の名所として定着。
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