二月九日、淀川をさかのぼり、渚の院を眺めて過ぎた。かつて惟喬親王が在原業平らと桜を愛でた所である。十一日、雨が少し降って、やがてやんだ。こうして上っていくうちに、東の方に山が横たわっているのを見て、人に聞くと「八幡の宮(石清水八幡宮)」だと言う。これを聞いて喜び、人々は拝み申し上げる。山崎の橋が見える。うれしいことこの上ない。ここで、相応寺のほとりに、しばらく船をとどめて、あれこれと手配をする。
十二日、山崎に泊まる。十三日、なお山崎に。十四日、雨が降る。今日、京へ車を取りにやる。
十五日、今日は車を連れてきた。船の中が窮屈なので、船から人の家に移る。この家の人は、喜んでいるようすで、もてなしてくれる。このもてなしをする家の主人の心の深さに、かえって何か下心でもあるのかと思われる。
山崎の小櫃の絵も、曲の餅屋の看板の鈎の形も、昔と少しも変わっていない。「売る人の心は分からないけれど」と、人々は言い合っている。
十六日、今日の夕方、京へ上る途中、見ると、山崎の小櫃の絵も曲の大鈎の形も変わらない。夜になって、桂川を渡る。月の光がたいそう明るい。人々は「この川は飛鳥川のように淵と瀬が入れ替わったりしなかった」と言って、ある人が詠んだ歌。
「はるかな月に生えているという桂、その名をもつ桂川の、川底に映る月の影も、昔と少しも変わっていないことだ」
京が近づく喜びのあまり、歌もたくさん詠まれた。