元弘元年(一三三一年)、鎌倉幕府を倒す計画が漏れて、後醍醐天皇は、ひそかに都を脱出し、山城の国の笠置山に立てこもられた。笠置山は、巨大な岩が重なり、弥勒の大磨崖仏がある、古くからの霊山である。
ある夜、帝は夢をご覧になった。紫宸殿の庭の前に、大きな常緑樹があって、南に向かって枝が特に茂っている。その下に、三公百官が位に従って並んでいたが、南に向いた上座には、まだ誰も座っていない。帝が不思議に思っていらっしゃると、童子が二人現れて、「天下に、御身をお隠しになる所はありません。しかし、あの木の南側に玉座がございます。あそこにお座りください」と言って、空に昇っていった。
目覚めた帝は、「木に南と書くのは楠という字である。この夢は、楠という名の者を頼れということではないか」とお考えになった。寺の僧に尋ねると、「河内の国の金剛山の西に、楠木多聞兵衛正成という弓矢の道に優れた者がおります」と言う。帝はすぐに正成を召された。
正成は参上して、「天下の兵を一つにしても、鎌倉の武力には敵いません。しかし、策略をもってすれば、敵を欺くことはたやすいことです。合戦の習いとして、一度の勝ち負けは問題ではありません。正成一人がまだ生きていると聞こし召されたならば、ご運はついに開かれるとお思いください」と頼もしげに申し上げて、河内へ帰っていった。
しかし、笠置山は幕府の大軍に囲まれた。風雨の激しい夜、敵に火を放たれ、城は落ちた。帝は、わずかなお供とともに山中をさまよい、捕らえられて、翌年、隠岐に流されることになった。