また元暦二年(一一八五年)のころ、大地震があった。そのありさまは尋常ではなかった。
山が崩れて川を埋め、海が傾いて陸地を水びたしにした。地面が裂けて水が湧き上がり、大岩が割れて谷へ転がり落ちた。岸辺をこぐ舟は波にもまれ、道を行く馬は足の踏み場に迷った。まして都の周辺では、あちこちの寺のお堂や塔が、ひとつとして無事なものはない。崩れたり倒れたりするあいだ、塵や灰が立ち上って、盛んな煙のようだった。地面が揺れ、家が壊れる音は、雷とまったく変わらない。家の中にいれば、たちまち押しつぶされそうになる。外へ走り出れば、また地面が割れ裂ける。羽がないので空へ飛び上がることもできない。竜ではないので雲に乗ることもできない。恐ろしいものの中でもいちばん恐ろしいのは、まさに地震だと思い知った。
その中で、ある武士の一人息子で、六つか七つほどの子が、土塀の屋根の下に小さな家をつくって、たわいもない遊びをしていたところ、急に塀が崩れて埋まり、跡かたもなく平らに押しつぶされて、二つの目玉が一寸ほども飛び出していた。それを父母が抱きかかえて、声も惜しまずに泣き悲しんでいたのは、哀れで悲しいことだった。子を失った悲しみには、勇ましい武士も恥を忘れてしまうのだと思われて、気の毒に、もっともなことだと見ていた。
これほど激しく揺れたのはしばらくのあいだで止んだが、その余震はしばしば続いた。ふだんなら驚くほどの地震が、二、三十回揺れない日はない。十日、二十日と過ぎると、ようやく間遠になって、一日に四、五回、二、三回、あるいは一日おき、二、三日に一回となり、おおよそ余震は三か月ほど続いただろうか。
地・水・火・風の四つのうち、水と火と風はいつも害をなすが、大地だけはとりたてて異変を起こさないものだ。昔、斉衡のころだったか、大地震で東大寺の大仏の御首が落ちるなど、大変なことがあったというが、それでも今回ほどではなかったという。
そのときは人々はみな、この世のはかなさを口々に語りあって、少しは心の濁りも薄らいだかと見えた。けれども月日が重なり年が越えると、後にはそのことを口に出す人さえいなくなった。