十二 自分の手と足

方丈記 現代語訳
原文現代語訳

そもそも人の友というものは、裕福な人を尊び、愛想のよい人を第一とする。必ずしも情けのある人や、まっすぐな人を愛するわけではない。それなら、ただ音楽や花や月を友とするにこしたことはない。

人の召使いというものは、褒美や罰が厳しいかどうかを気にし、恩恵の厚いことを重んじる。どれほど大切にかわいがっても、気楽でのんびりしていることなど望まない。それなら、ただ自分の身を召使いとするにこしたことはない。

もしするべきことがあれば、自分で自分の体を使う。疲れないわけではないが、人を従わせ、人に気をつかうよりは気楽だ。もし出歩く用があれば、自分の足で歩く。苦しいとはいっても、馬や鞍、牛車のことで心を悩ませるよりはましである。

いま、この身ひとつを二つに分けて、二つの役に立てている。手は召使い、足は乗り物。どちらもよくわたしの心にかなっている。心もまた体の苦しみを知っているので、苦しいときは休ませ、元気なときは使う。使うといってもたびたび度を越さず、気が進まなくても心を乱すことはない。

まして、いつも歩き、いつも体を動かすのは、健康のためにもなるだろう。どうして無駄に休んでいられようか。人を苦しめ、人を悩ませるのは、それもまた罪である。どうして他人の力を借りることがあろうか。

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