一 地気雪と成る弁

北越雪譜 現代語訳
原文現代語訳

天から形をなして降ってくるものは、雨・雪・霰・霙・雹である。露は地の気が粒になったもの、霜は地の気が凝り固まったもので、冷気の強い弱いによって姿が違うだけである。地の気が天にのぼって形をなし、雨・雪・霰・霙・雹となっても、暖かさを受ければ水になる。水は地の本体だから、もとの地に帰るのである。地中が深ければ必ず暖かい気があり、地は暖かさを得て気を吐き、天に向かってのぼっていく。人の息のように、昼も夜も片時も絶えることがない。天もまた気を吐いて地に下ろす。これが天地の呼吸であり、人の吐く息と吸う息のようなものだ。天地は呼吸して万物を育てる。天地の呼吸が常を失うと、暑さ寒さが季節に合わなくなり、大風・大雨そのほかさまざまな天変が起こる。それは天地が病んでいるのである。

天には九つの段があり、これを九天という。九段のうち最も地に近いところを太陰天という(地からの高さは四十八万二千五百里という)。太陰天と地とのあいだには三つの層があり、天に近いのを熱際、中ほどを冷際、地に近いのを温際という。地の気は冷際までしかのぼらず、熱際には届かない。冷際と温際の二段は、地からそれほど遠くない。富士山は温際を越えて冷際に近いので、頂上には暖かい気が通わず、草木が生えない。夏も寒く、雷や夕立は温際の下に見える(雷と夕立は温際の仕組みである)。

雲は地中の暖かい気から生じるので、立ちのぼる形は湯気に似ている。水を沸かして湯気が立つのと同じことだ。雲は暖かい気によって天へのぼり、冷際に達すると暖かさが消えて雨になる。湯気が冷えて露になるのと同じである(冷際まで届かなければ雲は散って雨にならない)。雨や露が粒になるのは、天地の気の中にあるからだ。草木の実が丸い形を失わないのも、気の中に生じるためである。

雲が冷際に達して雨になろうとするとき、天の寒さがはなはだしいと、雨は氷の粒になって降ってくる。寒さの強弱によって粒の大小ができ、これが霰や霙になる(雹は夏に降る。その説明はここでは略す)。地の寒さが強いときは、地の気は形をなさずに天へのぼる。ぬるい湯気のようなもので、空が曇るのはこれである。地の気が多くのぼると、空は灰色になって雪になりそうな様子になる。曇った雲が冷際に至ると、まず雨になる。このとき冷際の寒気が雨を凍らせるほど強くないので、花びらのような粉となって降りてくる。これが雪である。地の寒さが弱いか強いかで、氷が厚くなったり薄くなったりするのと同じだ。

天に温・冷・熱の三つの層があるのは、人の肌は温かく、肉は冷たく、内臓は熱いのと同じ道理である。気の中で育つ万物は、ことごとく天地の気の決まりに従うからだ。これは私の発見ではなく、いろいろな書物に散らばって見える昔の人の説である。

原文で読む →