百二十一 鶴恩に報ゆ

北越雪譜 原文
原文現代語訳

天保七年丙申の春、我が郡中(ぐんちゆう)小千谷(をぢや)の縮(ちゞみ)商人芳沢屋(よしさはや)東五郎俳号(はいがう)を二松といふもの、商ひの為(ため)西国にいたり或(ある)城下に逗留(とうりう)の間、旅宿の主(あるじ)がはなしに、此近在の農人(のうにん)おのれが田地のうちに病鶴(やめるつる)ありて死(し)にいたらんとするを見つけ、貯(たくはへ)たる人参(にんじん)にて鶴の病を養(やしなひ)しに、日あらず病(やまひ)癒(いえ)て飛去りけり。さて翌年の十月鶴二羽かの農人(のうにん)が家の庭(には)ちかく舞(まひ)くだり、稲二茎(けい)を落(おと)し一声(こゑ)づゝ鳴(なき)て飛さりけり。主人(あるじ)拾(ひろ)ひとりて見るにその丈(たけ)六尺にあまり、穂(ほ)も是につれて長く、穂(ほ)の一枝(えだ)に稲四五百粒あり。主人おもへらく、さては去年の病鶴(びやうかく)恩(おん)に報(むくは)んため異国(ゐこく)より咥(くは)えきたりしならん、何にもあれいとめづらしき稲なりとて領主(りやうしゆ)に奉(たてまつ)りけるに、しばらくとゞめおかれしのちそのまゝ主(あるじ)にたまはり、よくやしなへとおほせによりて苗(なへ)のころにいたり心をつくして植(うゑ)つけけるに、鶴があたへしにかはらずよく生(お)ひいでければ、国(くに)の守(かみ)へも奉りしとかたれり。東五郎猶その村その人をも尋(たづね)きけば、鶴を助(たす)けたる人は東五郎が縮(ちゞみ)を売たる家なれば、すぐさまその家にいたり猶(なほ)委(くはし)く聞て、さて国の土産(みやげ)にせん、穀(もみ)を一二粒賜(たま)はれかしと乞(こひ)ければ、あるじ越後は米のよき国ときけばことさらに生(お)ひなんとて、もみ五六十粒与(あた)へたるを国へ持かへりて事の来由(よし)を申て 邦君(はうくん)に奉りしを、 御城内に植しめ玉ひ、東五郎へ 御褒賞(はうしやう)など在しと小千谷の人その頃(ころ)物がたれり。おもふに余(よ)がごとき賤農(せんのう)もかゝるめでたき 御代(みよ)に生れたればこそ安居(あんきよ)してかゝる筆も採(とる)なれ。されば千年の昌平(しやうへい)をいのりて鶴の話(はなし)に筆をとゞめつ。猶雪の奇談(きだん)他事(たじ)の珎説(ちんせつ)こゝに漏(もら)したるも最(いと)多(おほ)ければ、生産(せいさん)の暇(いとま)ふたゝび編(へん)を嗣(つぐ)べし。

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