天保七年丙申の春、我が郡中小千谷の縮商人芳沢屋東五郎俳号を二松といふもの、商ひの為西国にいたり或城下に逗留の間、旅宿の主がはなしに、此近在の農人おのれが田地のうちに病鶴ありて死にいたらんとするを見つけ、貯たる人参にて鶴の病を養しに、日あらず病癒て飛去りけり。さて翌年の十月鶴二羽かの農人が家の庭ちかく舞くだり、稲二茎を落し一声づゝ鳴て飛さりけり。主人拾ひとりて見るにその丈六尺にあまり、穂も是につれて長く、穂の一枝に稲四五百粒あり。主人おもへらく、さては去年の病鶴恩に報んため異国より咥えきたりしならん、何にもあれいとめづらしき稲なりとて領主に奉りけるに、しばらくとゞめおかれしのちそのまゝ主にたまはり、よくやしなへとおほせによりて苗のころにいたり心をつくして植つけけるに、鶴があたへしにかはらずよく生ひいでければ、国の守へも奉りしとかたれり。東五郎猶その村その人をも尋きけば、鶴を助けたる人は東五郎が縮を売たる家なれば、すぐさまその家にいたり猶委く聞て、さて国の土産にせん、穀を一二粒賜はれかしと乞ければ、あるじ越後は米のよき国ときけばことさらに生ひなんとて、もみ五六十粒与へたるを国へ持かへりて事の来由を申て 邦君に奉りしを、 御城内に植しめ玉ひ、東五郎へ 御褒賞など在しと小千谷の人その頃物がたれり。おもふに余がごとき賤農もかゝるめでたき 御代に生れたればこそ安居してかゝる筆も採なれ。されば千年の昌平をいのりて鶴の話に筆をとゞめつ。猶雪の奇談他事の珎説こゝに漏したるも最多ければ、生産の暇ふたゝび編を嗣べし。
百二十一 鶴恩に報ゆ
北越雪譜 原文
原文現代語訳