十四 三条院

大鏡 現代語訳
原文現代語訳

次の帝は三条院の帝と申し上げました。お名前は居貞。この方は冷泉院の第二皇子です。ご母后は贈皇后超子と申し上げました。太政大臣兼家公の長女です。この帝は貞元元年丙子正月三日にお生まれになりました。寛和二年丙戌七月十六日に東宮にお立ちになりました。同じ日にご元服です。御年十一。寛弘八年辛亥六月十三日に即位なさいました。御年三十六。世をお治めになること五年。院におなりになって、お目がお見えにならなくなったのは、まことにおいたわしいことでした。とくに、人がお見かけ申し上げるには少しも変わったところがおありでなかったので、うそのようでいらっしゃいました。お目なども、たいへん澄んで美しくいらっしゃるばかりで、どういう折なのか、ときどきは見えることもありました。『御簾の編み緒が見える』などともおっしゃって、一品の宮(禎子内親王)が参上なさったとき、弁の乳母がお供に控えていて、挿し櫛を左向きに挿していたので、『あこよ、どうして櫛を悪く挿しているのか』とおっしゃったそうです。

この宮をことのほかかわいがり申し上げなさって、宮の御髪がたいそう美しくいらっしゃるのを手で探ってご確かめになっては、『こんなに美しくいらっしゃる御髪を見申し上げられないのは、情けなく残念だ』と言って、ほろほろとお泣きになったのは、しみじみと哀れです。宮が参上なさるたびごとに、しかるべき物を必ず差し上げなさいました。三条院の御所の権利証文を持ってお帰りになったのを、入道殿(道長)がご覧になって、『賢くいらっしゃる宮ですな。幼いお心で古い反故紙とお思いになって捨ててしまわずに、持っておいでになったとは』とおもしろがって申し上げなさったので、『とんでもないことをおっしゃいますね』と乳母たちがお笑いになりました。冷泉院の御所も差し上げなさったのですが、『昔から帝の御領としてだけありました所を、今さらわたくしの物にいたしますのは不都合なことです。朝廷の物としておくべきです』と言ってお返し申し上げなさったので、代々受け継がれる御物となって、朱雀院と同じ扱いになっているのでしょう。

このお目の病のために、いろいろと手当てをなさいましたが、その効き目がないのはまことに残念なことで、もともと御風病が重くていらっしゃったのに、医師たちが『大寒・小寒のころの冷水を頭にお浴びなさいませ』と申したので、凍りついた水をたくさんお浴びになったところ、ひどくぶるぶるとお震えになって、お顔の色も変わってしまわれたのを、人々はまことに哀れに悲しくお見申し上げたと聞いております。ご病気のために金液丹という薬をお飲みになったので、その薬を飲んだ人はこのように目を患うのだなどと人々は申しましたが、本当のところは、桓算供奉が物の怪となって現れて申したことには、『わたしが帝の御首に乗っていて、左右の羽で御目をおおい申し上げているので、羽ばたいて動かすときに少しご覧になれるのだ』と言ったそうです。ご退位なさったのも、多くは比叡山の根本中堂にお参りなさろうとしてのことです。

けれども、お登りになっても、まったく効き目がおありにならなかったのは残念なことでした。すぐに治るまではいかなくとも、少しは効き目があってよかったでしょうに。ですから、ますます比叡山の天狗のしわざだと、さまざまに噂されているようです。太秦の広隆寺にもお籠りになりました。そして仏の御前から東の廂の間に、お籠りのための部屋が設けられたのです。烏帽子をおつけになったお姿は、大入道殿(兼家)にたいへんよく似ていらっしゃいました。お心までもたいそう親しみやすく穏やかでいらっしゃって、世の人々はたいそうお慕い申し上げているようです。『斎宮が伊勢へ下られるときの別れの御櫛を挿してさしあげたら、互いに振り返らないものなのに、思いがけないことに、この院は振り向かれたのだ。おかしなことだと拝見したものだが』と入道殿はおっしゃいました。(寛仁元年五月九日に崩御なさる。御年四十二。)

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