二十八 太政大臣伊尹

大鏡 原文
原文現代語訳

このおとゞ一條攝政と申しき。これ九條殿の一男におはします。いみじき御集つくりてとよかげとなのらせ給へり。大臣になり榮え給ひて三年、いと若くて天祿三年十一月一日にうせ給ひにき。御年四十九。御いみな謙德公と申しき。いと若くて失せおはしましたることは九條殿の御遺言をたがへさせ給へるけとぞ人申しける。されどいかでかはさらでもおはしまさむ。御葬送のさたをむげに略定に書きおかせ給へりければ、いかでかいとさはとて例の作法に行はせ給ふとぞ。これはことわりの御しわざぞかし。唯御かたち身のざえ、何事もあまりすぐれさせ給へれば、御命のみとゝのはせ給はざりけるにこそ。折々の御和歌などこそめでたく侍れな。春日の使におはしまして、かへさに女のもとに遣したりける、

「くればとくゆきて語らむあふことのとほちの里のすみうかりしも」。

御かへし、

「逢ふことはとほちの里にほどへしもよし野の山とおもふなりけむ」。

助信の少將、宇佐の使にて下られしに、殿上にてはなむけに菊の花のうつろひたるを題にて別の歌よませたまへる、

「里とほくうつろひぬとかきくの花をりて見るだにあかぬこゝろを」。

御門の御をぢ東宮の御おほぢにて攝政せさせ給へば、世の中は我が御心にかなはぬことなく、くわさことの外に好ませ給ひて大饗せさせ給ふに、寢殿の裏板のかべの少し黑かりければ俄に御らんじつけてとかくみちのくに紙をつぶと押させ給へりけるが、なかなか白く淸らに侍りける。思ひよるべきことかはな。御家は今の世尊寺ぞかし。御ぞうの氏寺にておかれたるを、かやうの序には立ち入りて見給ふれば、まだその紙のおされて侍るこそ昔にあへる心ちしてあはれに見給ふれ。かくやうの御さかえを御覽じおきて、御年五十にだに足らでうせさせ給へるあたらしさは、父おとゞにも劣らせ給はずとこそ世ひと惜み奉りしか。その御をとこ女の君達あまたおはしましき。女君一人は冷泉院の御時の女御にて花山院の御母、贈皇后宮にならせ給ひにき。

次々の女君二人は法住寺の大臣の北の方にてうち續きうせさせ給ひにき。九の君は冷泉院の御みこの彈正宮と申しゝ御うへにておはせしを、その宮うせ給ひて後、尼にていみじう行ひ勤めておはすめり。又忠君の兵衞督の北の方にておはせしが、後には六條の左大臣殿の御子の左大辨のうへにておはしけるは四君とこそは。又花山院の御妹の君、一宮はうせ給ひにき。女二君は圓融院の御時の齊宮にたゝせ給ひて、天延三年になり給ひて、貞元三年に圓融院の御時女御に參り給へりし。程もなく內の燒けにしかば火の宮と世の人もつけ奉りき。さて一二度參り給ひて程もなくうせさせ給ひにき。この宮に御覽ぜさせむとて三寶繪はつくれるなり。男君達は代明の親王の御女のはらに藏人の前少將後少將とて花を折り給ひし君達の、殿うせ給ひて三年ばかりありて、天延二年甲戌のとし、もがさおこりたるに煩ひたまひて前の少將は朝に失せ給ひ後の少將は夕にかくれ給ひしぞかし。

一日がうちに二人の子を失ひ給へりし母北の方の御心ちいかなりけむ、いとこそ悲しく承りしか。後少將は義孝とぞきこえし。御かたちいとめでたくおはし年ごろきはめたる道心者にぞおはしける。病重くなるまゝに生くべうも覺え給はざりければ、母上に申し給ひけるやう、「おのれ死に侍りぬとも、とかく例のやうにせさせ給ふな。しばし法華經誦じ奉らむの本意侍れば、必ずかへりまうでくべし」とのたまうて、方便品を讀み奉り給ひてぞうせ給ひける。その遺言を母北の方忘れ給ふべきにあらねど物覺えでおはしければ、思ふに人のし奉りてけるにや、枕がへしなどにやと、例のやうなるありさまどもにしてければ、えかへり給はずなりにけり。後に母北の方の御夢に見えたまひける、

「しかばかり契りしものをわたり川かへるほどには忘るべしやは」

とぞよみ給へりける。いかなる心ちし給ふ、悔しくおばしけむな。さてのちほどへて賀緣阿闍梨と申すの僧の夢に、この君達二人おはしけるが、兄の前少將はいたう物思へるさまに見え給ひ、この後少將はいと心ちよげなるさまにて見えたまひければ、阿闍梨、「君はなど心ちよげにてはおはする。母上は君をこそあに君よりはいみじうこひ聞え給ふめれ」ときこえければ、いとあたはぬさまのけしきにて、

「時雨とはちぐさの花ぞちりまがふなにふる里に袖ぬらすらむ」

などうちよみ給ひて、又誦し給ひける、

「昔契蓬萊宮裏月

今遊極樂界中風」

とぞのたまひける。(さて後小野宮の實資のおとゞの御夢に、おもしろき花の蔭におはしけるを、うつゝにも語らひ給へりし御中にて、いかでかくはいづくにいてかなとめつらしがり申したまひけれは、御いらへにこの詩はありけり。)極樂に生れ給へるにぞあなる。かやうにも夢などしめい給はずとも、この人の御徃生を疑ひ申すべきにあらず。世のつねの君達のやうにうちわたりなどにても、おのづから女房とかたらひ、はかなき事をだにのたまはせざりけるに、いかなるをりにかありけむ、ほそどのに立ちより給へれば、例ならずめずらしくて物語聞えさせけるに、やうやう夜中などにもなりやしぬらむと思ふ程に立ちのき給ふを、いづかたへかとゆかしうて、人つけ奉りて見せたりければ、北の陣より出で給ひけるほどより、法華經をいみじくたふとく誦し給ひ大宮のぼりにおはして世尊寺におはしましつきぬ。

なほ見れば東の對のつまなる紅梅のいみじう盛に咲きたる下に立たせたまひて、滅罪生善往生極樂といふぬかを西にむかひてあまた度つかせ給ひけり。歸り侍りて御有樣語りければ、いといと哀に聞き奉らぬ人なし。このおきなもその頃大宮なる所にやどりて侍りしかば御聲にこそおどろきていといみじう承りしかば、翁いでゝ見奉りしかば、空はかすみわたりたるに月はいみじうあかくて、御なほしのいと白きにこき指貫に、よい程に御くゝりあげて、何色にか、色ある御ぞどものゆたちより多くこぼれ出でゝ侍りし御容體などよ。御顏の色月かげにはえて、いと白う見えさせ給ひしにびんぐさのけちえんにめでたくこそおはしましゝか。やがて見つぎ見つぎにおほん供に參りて御ぬかづかせ給ひて見も奉りはべりき、いと悲しくあはれにこそ侍りしか。

御供にわらは一人ぞさぶらふめりし。又殿上の逍遙侍りし時さらなり、こと人は皆こゝろごゝろに狩裝束めでたうせられたりけるに、この殿はいとうまたれ給ひて、白き御ぞどもにかうぞめの御狩衣、薄色の御指貫、華やかならぬあはひにてさし出で給ひけるこそなかなか心を盡したる人よりはいみしうおはしけれ。常の御事なれば法華經御口につぶやきて、紫檀の御數珠の水精のさうぞくしたるひきかくして持ち給ひたりけり。御用意などの優にこそおはしましけれ。大かた一生精進始め給へる、まづありがたき事ぞかし。猶々同じ事のやうに侍れどいみじと見給へ聞きおきつる事は申さまほしくて。此の殿は御かたちのありがたく末の代もさる人や出でおはしましたがたからむとまでこそ見給へりしか。雪のいみじう降りたりし日、一條左大臣殿に參らせ給ひて、御前の梅の木に雪のいたう積りたるを折りてうちふらせ給へりしかば、御上にはらはらとかゝりたりしを、御なほしの裏の花なりけるがかへりていとまだらになりて侍りしにもてはやされさせ給へりし御かたちこそいとめでたくおはしましゝか。

御兄の少將もいとよくおはしき。このおとゞのかくあまりにうるはしくおはしゝをもどきて少しよう悍にあしき人にてぞおはせし。その義孝少將、桃園の源中納言保光卿の女の腹に生ませ給へりし君ぞかし、今の侍從大納言行成卿世の手かきとのゝしり給ふは。この殿の御をのこゞ唯今の但馬守實經の君、尾張權守良經の君二人は泰淸三位の女の腹なり。むかひばらは少將行經の君、又女君は入道殿の御子高松ばらの權中納言殿の北の方にておはせし。姬君十五にてうせ給ひにきかし。又今のたばの守經賴の君の北の方にておはす。又大姬君おはしますとか。この侍從大納言殿こそひごのすけとてまだ地下にておはせし時藏人頭になり給ふなれ。いと珍らしき事よな。その頃は源民部卿殿は(この民部卿心うるはしくして、おほやけにつかまりしにより、ゑんまわうくうに生れたると夢に見えたる人なり。

)職事にておはしますに、上達部になり給ひければ、一條院、「この次には又誰かなるべき」と問はせ給ひければ「行成なむまかりなるべき人に候ふ」と奏せさせ給ひけるを、「地下のものはいかゞあるべからむ」と、のたまはせければ、「いとやんごとなきものに候ふ。地下など思し憚らせ給ふまじ。行く末にもおほやけに何事にもつかまつらむに堪へたるものになむ。かくやうなる人を御覽じわかぬは世のためあしき事に侍り。善惡を辨へおはしませばこそ人も心づかひは仕うまつれ。このきはになさせ給はざらむはいと口惜しきことにこそさぶらはめ」と申させ給ひければ、道理の事といひながらなり給ひにしぞかし。大方むかしは前の頭の擧によりて後の頭はなることにて侍りしなり。されば殿上にわれなるべしなどさだのぶの民部卿中將にておはせしをり思ひ給へりける。

この人はこよひと聞きて參り給へるに、いづこもとくかにさしあひ給へりけるを「たれぞ」と問ひ給へるに、御名のり給へば、思ひかけずおぼして、「何事に參り給へるぞ」とあれば、「頭になしたびたれば參りて侍るなり」とあるにあさましとあきれてこそ動きもせで立ち給ひたりけれ。げに思ひかけず道理なりや。この源民部卿、かく申しなし給へる事をおぼししりて、從二位のをりかとよ、越え申し給ひしかど更にかみに居給はざりき。かの殿出で給ふ日はわれ病申し、又共にいで給ふ日はむかへ座などにぞ居給ひし。さて民部卿正二位のをりこそはもとのやうに下臈になり給ひしか。大方この御ぞうの頭あらそひにかたきをつぎ給へば、これもいかゞおはすべからむ。皆人知しめしたることなれどあさなりの中納言と一條攝政と同じ折の殿上人にて、しなの程こそ一條殿とひとしからね、身のざえ世おぼえやんごとなき人なりければ頭になるべき次第いたりたるに、又この一條殿、さうなく道理の人にておはしましけるを、このあさ成の君申し給ひけるやう「殿はならせ給はずとも人わろく思ひ申すべきにあらず。

のちのちにも御心に任せさせ給へり。おのれはこの度まかりはづれなばいみじうからかるべきことにてなむ侍るべきを、のかせ給ひなむや」と申し給ひければ、「こゝにもさ思ふ事なり。さらばさりまさむ」とのたまふを、いとうれしと思はれけるにいかにおぼしなりにけることにか、やがてとひ事もなくなり給ひにければ、かくはかり給ふべしやはといみじう心やましと思ひまされけるほどに、御中よからぬ事にて過ぎ給ふほどに、この一條殿の御つかうまつる人とかやのためになめき事し給ひたりけるを、ほいなしなどばかりは思ふとも、いかに事に觸れて我などをばかくなめげにもてなすぞとむづかり給ふと聞きて、あやまたぬよしも申さむとて參られたりけるに、さやうの人は我よりたかき所にまうでゝは、こなたへとなきかぎりはうへにものぼらでしもにたてる事にてなむありけるをこれは六七月のいと暑く堪へがたき頃、かくとまさせて今や今やと中門に立ちて待つ程に西日もさしかゝりて暑く堪へがたしとはおろかなり。

心ちも損はれぬべきに、早うこの殿は我をあぶり殺さむとおぼすにこそありけれ、やくなくも參りにけるかなと思ふにすべて惡心起るなどはおろかなり。夜になる程さてあるべきならねば、さくをおさへて立ちければ、はたうと折れける。いかばかり心を起されにけるにか。さて家に歸りて、「このぞう永くたゝむ。若しをのこ子もをんな子もありともはかばかしくてはあらせじ。哀といふ人もあらば、それをも恨みむ」など誓ひてうせ給ひにければ、だいだいの御惡靈とこそはなり給ひたれ。さればましてこの殿近うおはしませば、いとおそろし。殿の御夢に、南殿の御後の戶のもと、必ず人の參るにたつ所よな。そこに人の立ちたるを誰ぞと見れば、顏は戶のかみに隱れたればよくも見えず。あやしうて、「たぞたぞ」とあまた度問はれて「朝成に侍り」といらふるに、夢の中にもいとおそろしけれど、念じて「などかくては立ち給ひたる」と問ひ給ひければ、「頭辨の參らるゝを待ち侍るなり」といふと見給ひて、おどろきて、「今日は公事ある日なれば疾くまゐるらむ。

ふびなるわざかな」とて、「夢に見え給ひつることあるを、今日は御病申などもして物忌かたくして何かまゐり給ふ。こまかにはことづから」と書きて「急ぎ奉り給へ」とちかひて、いと疾く參り給ひにけり。まもりのこはくやおはしけむ、例のやうにはあらで、北の陣より藤壺後涼殿のはざまより通りて殿上に參り給へるに、こはいかに、「御消息奉りつるは御覽ぜざりつるか、かゝる夢をなむ見侍りつる。とくいでさせ給ひね」と聞えさせ給ひければ、手をはたとうちて、いかにぞとこまかにも問ひまさせ給はず、またふたつものものたまはで出で給ひにけり。さてぞ御祈などし給ひて、しばしは內へも參り給はざりけり。このものゝけの家は三條より北、西の洞院よりは西なり。今に一條殿の御ぞう、あからさまにも入らぬ所なり。

この大納言殿萬にとゝのひ給へるを、和歌の方やすこし後れ給へりけむ。殿上にうたろぎといふ事出できて、その道の人々いかゞもだふすべきなど歌の學問より外の事もなきに、この大納言殿は物もの給はざりければ、いかなる事ぞとてなにがしとのゝ、「難波津にさくやこの花冬ごもり、いかに」ときこえさせ給ひければ、とばかり物ものたまはで、いみじうおぼし案ずるさまにもてなして、「えしらず」と答へさせ給へりけるに、人々笑ひてことさめ侍りにけり。少しいたらぬ事にも御たましひ深くおはして、らうらうしくなし給ひける御本性にて、みかどをさなくおはしまして、人々に「あそびものまゐらせよ」とおほせられければ、さまざまこがねしろがねなど心をつくして、いかなる事をがなとふりうをしいでゝもて參りあひたるに、この殿はこまつぶりにむらごの緖つけて奉り給へりければ、「あやしのものゝさまや。

こは何ぞ」と問はせ給ひければ、「しかじかの物になむと申す。舞はして御覽じおはしませ。興ある物に」など申されければ、南殿に出させ給ひて舞はさせ給ふに、いと廣き殿のうちに殘らずくるべきあるけば、いみじう興せさせ給ひて、をこれのみ常に御覽じ遊ばせ給へば異物どもはこめられにけり。又殿上の人々扇どもして參らするに、こと人々は骨にまきゑをし、或はしろがね、こがね、ぢん、紫檀の骨になむすぢを入れほりものをし、えもいはぬ紙どもに人のなべて知らぬ歌や詩や、又六十餘國の歌枕に名あがりたる所々などを書きつゝまゐらするに、例のこの殿はほねの漆ばかりをかしげに塗りて、黃なるかうがみの下繪ほのかにをかしきほどなるに、おもての方には樂府をうるはしう眞にかき、裏には御筆をとゞめて草にめでたくかきて奉り給へりければ、うちかへしうちかへし御門御覽じて御手箱に入れさせ給ひて、いみじき御寳と思しめしたりければ、ことあふぎどもは唯御覽じ興ずるばかりにてやみ侍りにけり。

いづれもいづれも帝王の御感侍るにますことやはあるべきな。いみじきすくの給へる人なり。このかや院殿にてくらべ馬ある日、皷は讃岐の前司あきまさの君ぞうち給ひし。一番にはなにがし、二番にはかゞしなどいひしかど、その名こそおぼえね、勝つべき方のつゞみをあしくうちさげてまけになりければ、その隨身のやがて馬の上にのりながら、ないばらをたちて見かへるまゝに「あなわざはひや、かばかりのことをだにしそこなひ給ふよ。かゝれば明理行成と一雙にいはれ給ひしかども、一の大納言にて、いとやんごとなくてさぶらはせ給ふに、くさりたる讃岐の前司ふるずらうの皷うち損ひてはたちたまひたるぞかし」とはうごしたいまつりたるを、大納言殿聞かせ給ひて、「明理のらんかうに行成がしこな呼ぶべきにあらず。

いとからい事なり」とて笑はせ給ひければ、人々いみじうの給はせたりと興じ奉りて、その頃のいひごとにこそし侍りしか。又一條攝政殿の御をのこ子、花山院の御時御門の御をぢにてよしちかの中納言と聞えし少將だちの御同じはらよ。その御時はいみじう華やぎ給ひしに、御門出家せさせ給ひてしかば、やがて我もおくれ奉らじとて花山寺まで尋ね參りて中日一日をはさめて法師になり給ひき。飯室といふ所にいとたふとく行ひてぞかくれ給ひし。その中納言文盲にはおはせしかど、御心だましひいとかしこく、いうそくにおはして、花山院の御時のまつりごとは唯この殿とこれしげの辨として行ひ給へればいといみじかりしぞかし。その御門をば內おとりのとめでたとぞ世の人申しゝ。「冬の臨時の祭の日の暮るゝあしき事なり。

辰の時に人々參れ」と宣旨下させ給ふを、さぞ仰せらるともみうまの時にぞおはしますらむなど思ひ給へりけるに、舞人の君だちさう束賜はりに參りおはさうじたりければ、御門は御さう束奉りて立たせおはしましたりける。この入道殿も舞人にておはしましければ、この頃語らせ給ふなるを傳へてうけたまはるなり。あかく大路などわたるがよかるべきにやと思ふに、御門馬をいみじう興ぜさせ給ひければ、舞人の馬をこうらう殿の北のめだうよりとほさせ給ひて、あさがれひの壺にひきおろさせ給ひて、殿上人どもを乘せて御覽ずるをだにあさましう人々思ふに、はては乘らむとさへせさせ給ふに、すべき方もなくてさぶらひあひ給へる程に、さるべきにや侍りけむ、入道中納言さし出で給へりけるに、御門御おもていと赤くならせ給ひて、すぢなげにおもほしめしたり。

中納言もいとあさましう見奉り給へど、人々の見るに制し申さむもなかなかに見苦しければ、もてはやし興じ申し給ふさまにもてなしつゝ、自らしたがさねのしりはさみて乘り給ひぬ。さばかりせばき壺にをりまはし、おもしろうあげ給へば御氣色なほりて、あしき事にはあらぬことなりけりと思し召して、いみじう興ぜさせ給ひけるを、中納言あさましうも哀にもおぼさるゝ御けしきは、同じ御心によからぬ事をはやし申し給ふとは見えず。誰もさぞかしとは見しり聞えさする人もありければこそはかく申し傳へたれな。又みづから乘り給ふまではあまりなりといふ人もありけり。これならずひたぶるに色にはいたくも見えず、唯御本性のけしからぬさまに見えさせ給へばいと大事にぞ。されば源民部卿は「冷泉院のくるひよりは花山院のくるひこそすぢなきものなれ」と申し給ひければ、入道殿は「いとふびなる事をもまさるゝかな」とおほせられながら、いみじう笑はせたまひけり。

この義懷の中納言の御出家、惟成辨のすゝめ聞えられたりけるとぞ。いみじういたりありける人にて、「今更によそ人にてまじらひたまはむほど見苦しかりなむ」ときこえさせければ、げにさもといとゞおぼしてなり給ひにしを、もとより起し給へる道心ならねばいかゞと人おもひ聞えしかど、おり居給へる御心の本性なればけたいなく行ひ給ひてうせ給ひしぞかし。その御子は唯今の飯室僧都守禪の君、又繪阿闍梨の君、入道中將成房の君なり。この三人は備中守爲雅が女の腹なり。その中將の御女は定經ぬしの御めにてこそはおはすめれ。一條殿の御ぞうはいかなる事にか御命みじかくぞおはしますめる。花山院の御出家の本意あり、いみじう行はせ給ひ、修行せさせ給はぬところなし。されば熊野の道にちさとの濱といふ所にて御心ちそこなはせ給へれば、濱づらに石のあるを御枕にて大殿ごもりたるに、いと近くあまの鹽燒く煙のたちのぼる心ぼそさ、げにいかにあはれにおぼされけむな。

「旅の空夜はのけぶりとのぼりなばあまのもしほ火たくかとやみむ」。

かゝるほどに御驗もいみじうつかせ給ひて、中堂にのぼらせ給へる夜、驗くらべしけるを試みむとおぼしめして、御心のうちにねんじおはしましければ、護法つきたる法師おはします御屛風のつらに引きつけられてふつとうごきもせず。あまり久しくなれば、今はゆるさせ給ふをりぞつけつるを、僧どものがりをどりいぬるを早う院の御護法のひきとるにこそありけれと人々あはれに見奉る。それさることに侍り。驗もしなによることなればいみじきおこなひ人なりともいかでかなずらひ申さむ。前生の戒力に又國王位をすて給へる出家の御功德限なき御事にこそおはしますらめ。行く末までもさばかりにならせ給ひなむ御心には懈怠せさせ給ふべき事かはな。それにいと怪しくならせ給ひし、御心あやまちも唯御物怪のし奉りぬるにこそは侍るめりしか。

中にも冷泉院の南の院におはしましゝ時、燒亡ありし夜、御とぶらひに參らせ給へりしあり樣こそふしぎにさぶらひしか。御親の院は御車にて二條町しもの辻に立たせ給へり。この院は御馬にて頂にかゞみ納れたる笠頭光に奉りて、「いづこにか坐しますいづこにか坐します」と御手づから人每に尋ね申させ給へば、「そこそこになむ」と聞かせ給ひて、おはしまし所へ近くおりさせ給ひぬ。御馬の鞭かひなにいれて御車の前に御袖うちあはせて、いみじうつきづきしう居させ給へりしは、さる事やは侍りしとよ。それに又冷泉院の御車のうちより高やかに神樂歌をうたはせ給ひしはさまざま興ある事をも見きくかなとおぼえ候ひしに、あきのぶのぬしのけはひいと猛なりや」との給ひけるにこそ萬人えたへず笑ひ給ひにけれ。

さて又花山院のひとゝせ祭のかへさ御覽ぜし御ありさまは誰も見奉りけむな。まへの日事いださせ給へりし度のことぞかし。さる事あらむ時、今日は猶御ありきなどなくてもあるべきにいみじき異樣一のものども、かうぼうのらいせいをはじめとして御車のしりにうちむれ多く參りしきそくども、いへばおろかなり。何よりも御數珠のいと興ありしなり。ちひさき柑子を大方の玉につらぬかせ給ひて、だつまには大柑子をしたる御數珠いとながく御指貫に具して出させ給へりしはさる見ものやは候ひしな。人々むらさい野にて御車に目をつけ奉りたりしに檢非違使まゐりて、昨日事出したりしわらはべとらふべしといふ事出できにけるものか。この頃の權大納言殿、またその頃は若くおはしましゝほどぞかし、人はしらせて、「かうかうの事候ふ。

疾くかへらせ給ひね」と申させ給へりしかば、そこらさぶらひつるものども蜘蛛の子を風の吹きはらふ如くに逃げぬれば、唯御車ぞひのかぎりにてやらせて、見もの車のうしろの方よりおはしましゝこそさすがにいとほしくかたじけなく覺えおはしましゝか。さてけびゐしつきや、いといみじうからうせめられ給ひて、太上天皇の御名は永くくださせ給ひにき。かゝればこそ民部卿殿の御いひごとはげにと覺ゆれ。さすがに遊ばしたる和歌はいづれも人の口にのらぬなく、優にこそうけたまはれな。

「こゝろみにほかの月をも見てしがな我が宿からのあはれなるかと」

などは、この御有樣に思し召しよりける事とも覺えず、心苦しうこそさぶらへ。さて又冷泉院にたかんな奉らせ給へるをりは、

「世の中にふるかひもなき竹の子はわがへむ年をたてまつるなり」。

御かへし、

「年へぬるたけのよはひは返してもこの世をながくなさむとぞおもふ」。

かたじけなく仰せられたりと御集に侍るこそあはれに候へ。誠にさる御心にも祝ひ申さむと思し召しけむ悲しさよ。この花山院は風流者にさへこそおはしましけれ。御家造らせ給へりしさまなどよ、寢殿、對、渡殿などはつくりあひ、ひはだふきあはすることもこの院のしいでさせ給へるなり。昔はべちべちにてあはひに樋かけてぞはべりし。內裏は今にさこそは侍るめれ。御車やどりには板敷を奧は高く端はさがりて大きなる妻戶をせさせ給へる故は、御車のさうずくをさながら立てさせ給ひて、おのづからとみの事の折にとりあへず戶おしひらかばからからと人の手ふれぬさきにさし出されむがれうと面しろく思し召したる事ぞかし。御調度どもなどのけうらさこそえもいはず侍りけれ。六の宮のたえいり給へりし御誦經にせられたりし御硯の箱見給へき。

海賊に蓬萊山手長足長などこがねしてまかせ給へりしこそ、かばかりの箱の漆つき蒔繪のさまくちおかれたりしやうなどのいとめでたかりしなり。又木だちつくらせ給ひしをりは、「櫻の花はいうなるに枝ざしのこはごはしくて、もとのやうなどもにくし。梢ばかりを見るなむをかしきとて中門よりとに植ゑさせ給へる、何よりもいみじく思しめしよりたりと人は感じ申しき。又撫子の種をついぢの上にまかせ給へりければ思ひかけず四方にいろいろに唐錦をひきかけたるやうに咲きたりしなどを見給ひしはいかにめでたく侍りしかば、入道殿のくらべ馬せさせ給ひし日はむかへ申させ給ひけるに、渡りおはします日の御よそほひは更なりおろかなるべきにもあらねど、それにつけても誠に御車のさまこそ又世にたぐひなくさふらひしか。

御くつに至るまで、唯人の見物になるばかりこそ後にはもてありくと承りしか。あて御繪遊ばしたりしさまにけうあり。さははしり車の輪には薄墨にぬらせ給ひて、大きさの程やなどしるしには墨をにほはせ給へりし、げにかくこそ書くべかりけれ。あまりにはしる車はいつかはくろさのほどやは見え侍る。又たかんなのはを男のおよびごとに入れて、めかゝうしてちごをおどせば、顏赤めてゆゝしうおぢたるかた、また德人、たよりなしの家の內の作法などかゝせ給へりしが、いづれもいづれもさぞありけむとのみあさましうこそ候ひしか。この中に御覽じたる人もやおはしますらむ。

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