三十二 太政大臣兼家

大鏡 原文
原文現代語訳

これ九條殿の三郞君、東三條のおとゞにおはします。御母一條攝政におなじ。冷泉院圓融院の御をぢ、一條院三條院の御おほぢ、東三條女院贈皇后宮の御父。公卿にて二十年、大臣の位にて十二年、世をしらせ給ふ事榮えて五年ぞおはします。正曆元年七月二日うせさせ給ひにき。御年六十二。出家せさせ給ひてしかば後の御いみななし。內に參らせ給ふにはさらなり、牛車にて北の陣まで入らせ給へば、それより內は何ばかりのほどならねど、紐解きて入らせ給ふとぞ。されどそれはさてもありなむ。すまひのをり東宮のおはしませば二所のぎよ前に何をもおしやりて御汗とりばかりにてさぶらはせ給ひけるこそ世にたぐひなくやんごとなき事なれ。末には北の方もおはしまさゞりければ男ずみにて、東三條殿の西の對を淸凉殿づくりに御しつらひより始めてすませ給ふなどをぞ、あまりなる事に人申すめりし。

なほたゞ人にならせ給ひぬれば、御果報の及ばせ給はぬにや、さやうの御みもちに久しくは保たせ給はぬとも定め申すめりき。そのほどは夢ときもかんなぎも、かしこきものどもの侍りしぞとよ。堀川の攝政のはやり給ひし時に、この東三條殿は御つかさどもとゞめられさせ給ひて、いとからくおはしましゝ時に、人の夢に、かの堀川院より矢をいと多くひんがしざまに射るをいかなるぞと見れば、東三條殿に皆落ちぬと見えけり。よからず思ひ聞えさせ給へる方より矢おはせ給ふはあしき事あらむと思ひて殿にも申しければ、恐れ給ひて夢ときに問はせ給ひければ、「いみじうよき御夢なり。世の中のこの殿にうつりて、あの殿の人のさながら參るべきが見えたるなり」と申しけるが、あてざらざりしことかは。

又その頃よきかんなぎ侍りき。賀茂の若宮のつかせ給ふとてふしてのみ物を申しゝかば、うちふしのみことぞ世ひとつけて侍りし。大入道殿召して物問はせ給ひけるに、いとかしこく申しければ、さしあたりたること、過ぎにしかたとは皆さいふことなれば、しか思し召しけるに、かなはせ給ふ事どものいでくるまゝには、後々には御さうぞくたてまつり御かうぶりせさせ給ひて御膝に枕せさせてぞものは問はせ給ひける。それに一事として後々の事申しあやまたざりけり。さやうに近く召しよするに、いふかひなき程のものにもあらで、少しおもと程のきはにてぞありける。この殿法興院におはしますことをぞ心よからぬ所と人はうけ申さゞりしかど、いみじう興ぜさせ給ひて聞きもいれで渡らせ給ひて程なくうせおはしましにき。

御物忌の折渡らせ給はむとて、おはしましてはいかゞあると御うらをせさせおはしまして、そのたびほこ院にて御病づきてうせさせ給へるぞかし。みまやの馬に御ずゐじは乘せて粟田口へ遣はしたるが、「あらはにはるばると見ゆる」などをかしき事に仰せられて、月のあかき夜はげかうしもせでながめさせけるに、目に見えぬものゝはらはらとまゐりわたしたりければ、さぶらふ人々はおぢさわげど、殿はつゆおどろかせ給はで、御枕がみなる太刀をひき拔かせ給ひて、「月見るとて上げたる格子をおろすは何物のするぞ。いとびんなし。もとのやうに上げわたせ。さらずばあしかりなむ」とおほせられければ、やがてまゐりわたしなど大方おちゐぬ事ども侍りけり。さて遂に殿ばらの御領にもならで、かく御堂にはなさせ給へるなめり。

このおとゞの御君達、女君四ところ、男君五人おはしましき。女二ところ男三ところは攝津守藤原中正のぬしの御むすめの腹におはします。三條院の御母の贈皇后宮と女院大臣三人ぞかし。この御母いかにおぼしけるにか、いまだ若うおはしけるをり、二條の大路に出でゝゆふけとひ給ひければ、しらいがいみじくしろき女のたゞ一人ゆくがたちとゞまりて、「何わざしたまふ人ぞ。もしゆふけとひ給ふか。何事なりともおぼさむことかなひて、この大路よりも廣く長くとも榮えさせ給へよ」とうち申しかけてこそまかりにけれ。人にあらで、さるべきものゝしめし奉りけるにこそ侍りけめ。女君一人は女院の后の宮にておはしましゝ折の宣旨にておはしき。又對の御方と聞えし御腹のむすめ、おとゞいみじう悲しうし聞えさせ給ひて、十一におはせし折、內侍のかみになし奉らせ給ひて內ずみせさせ奉らせ給ひし。

御かたちいとうつくしうて、御ぐしも十一十二のほどに絲をよりかけたるやうにて、いとめでたくおはしませば、ことわりとて三條院の東宮にて御元服せさせ給ふ夜の御そひぶしに參らせ給ひて、三條院もにくからぬものに思し召したりき。夏いと暑き日わたらせ給へるに、御前なるひをとらせ給ひて、「これしばしもち給ひたれ。まろをおもひ給はゞ今はといはざらむ限は置き給ふな」とてもたせ聞えさせ給ひて御覽じければ、まことにかたの黑むまでこそ持ち給ひたりけれ。「さりともしばしぞあらむとおぼしゝに、あはれさ過ぎてうとましくこそ覺えしか」とこそ院は仰せられけれ。あやしき事は、源宰相賴定の君通ひ給ふと世に聞えて、さとに出で給ひにきかし。たゞならずおはすとさへ三條院聞かせ給ひて、この入道殿に「さることのあなるはまことにやあらむ」と仰せられければ、「まかりて見て參り侍らむ」とておはしたりければ、例ならず怪しくおぼして凡帳ひきよせ給ひけるを、押しやらせ給へれば、もと華やかなるかたちにいみじうけさうし給へれば常よりもうつくしう見えたまふ。

春宮に參りたりつるに、「しかじか仰せられつれば見奉りに參りつるなり。空言にもおはせむに、しか聞しめされ給はむがいとふびんなれば」とて御胸をひきあけさせ給ひて、ちをひねり給へりければ御顏にさらと走りかゝるものか。ともかくものたまはせでやがて立たせ給ひぬ。東宮に參らせ給ひて、「まことに候ひける」とて、したまひつるありさまを啓せさせ給へれば、さすがにもと心苦しう思し召しならせ給へる御中なればにや、いとほしげにこそ思し召しけれ。內侍のかみは殿かへらせ給ひてのちに人やりならぬ御心づからいみじう泣き給ひけりとぞそのをり見奉りたる人かたり侍りし。東宮にさぶらひ給ひしほども宰相は通ひまゐり給ふこと、あまりこといでゝこそは宮もきこしめして「たちはきどもして蹴させやせましと思ひしかど、故おとゞの事をなきあとにもいかゞといとほしかりしかばさもせざりし」とぞ仰せられける。

この御あやまちより、源宰相、三條院の御時は殿上もしたまはで地下の上達部にておはせしに、この御時にこそは殿上し、檢非違使の別當などになりてうせ給ひにしか。今ひとつの御腹のおほい君は冷泉院の女御にて、三條院、彈正宮、帥宮の御母にて、三條院位に即かせおはしましゝかば贈皇后宮と申しき。かの三人の宮たちをおほぢ殿殊の外にかなしう申させ給ひき。世の中にすこしの事もいでき、かみもなりなゐもふるときは、まづ東宮の御方に參らせ給ひて、をぢの殿ばらそれならぬ人々などを、「うちの御方にはまゐれ。この御方には我侍はむ」とぞ仰せられける。雲形といふ高名の御帶は三條院にこそは奉らせたまへれ。かこの裏に「東宮にたてまつる」と刀のさきして自筆にかゝせ給るなり。この頃は一品の宮にとこそうけ給はれ。

この東宮の御おとゞの宮たちは少し輕々にぞおはしましゝ。師の宮のまつりのかへさ、和泉式部とあひのらせ給ひて御覽ぜしさまもいとけうありきやな。御車の口のすだれを中よりきらせ給ひて、我が御方をば高う上げさせ給ひ、式部のかたをばおろして、きぬながら出させて、くれなゐの袴に赤き色紙のものいみひろきつけて土とひとしう下げられたりしかば、いかにぞ物見よりはそれをこそ人見るめりしか。彈正の宮のわらはにおはしましゝ時の御かたちの美くしげさははかりもしらず、輝くとこそは見えさせ給ひしに、御元服おとりの殊の外にせさせ給ひにしをや。この宮達は御心の少し輕くおはしますこそ一家の殿ばらうけ申させ給はざりしかど、さるべき事の折などはいみじうもてかしづき申させ給ひし。

帥の宮、一條院の御時の御作文に參らせ給ひしなどには御前などさるべき人多くて、いとこそめでたうて參らせ給ふめりしか。御前にて御したうづのいたうせめさせ給ひけるに、御心もたがひていと堪へ難うおはしましければ、この入道殿にかくと聞え申させ給ひて、鬼のまにおはしまして御したうづをひきぬぎ奉せせ給へりければこそ御心ちなほらせ給へりけれ。贈皇后宮の御一つ腹の今一所の姬君は圓融院の御時、梅壺の女御と申して、一のみこ生れ給へりき。そのみ子五つにて東宮に立たせ給ひ、七つにて位に即かせ給ひにしかば、御母女御殿、寬和二年ひのえいぬ七月五日后にたゝせ給ひて、中宮と申しき。この御門を一條院と申しき。その母后入道せさせ給ひて、太上天皇とひとしき位にて女院ときこえさせき。

一天下をあるまゝにしておはしましゝ。この父おとゞの太郞の君、女院の御ひとつ腹の道隆のおとゞ、內大臣にて關白せさせ給ひき。次郞君は陸奧守倫寧ぬしの女の腹におはせし君なり。道綱ときこえさせて大納言までなりて右大將かけ給へりき。この母君極めたる和歌の上手におはしければ、この東三條殿の我が方に通はせ給ひけるほどの事、歌など書きあつめて、かげろふの日記となづけて世にひろめ給へり。殿のおはしましたりけるに、門をおそくあけゝれば、度々御せうそこいひいれさせたまふに、女君、

「歎きつゝひとりぬる夜のあくるまはいかにひさしきものとかはしる」。

いと興ありとおぼしめして、

「げにやげに冬の夜ながらまきの戶もおそく明くるはくるしかりけり」。

さればその御腹の君ぞかし。この道綱卿後には東宮の傅になり給ひて、ふの殿とぞ申すめりし。いとあつしくて大將をも辭し給ひてき。その殿今の入道殿の北政所の御はらからをすみ奉り給ひてうまれ給へりし君、宰相中將兼經の君よ。道命阿闍梨、極めたる和歌の上手におはしける。父大納言殿は寬仁四年十月十三日に出家、同十六日にうせ給ひにき。御年六十六とぞ聞き奉りし。大入道殿の御三郞は栗田殿、又四郞は堀川の治部少輔の君とて、世のしれものにて交らひもせで止み給ひぬとぞ聞き侍りし。五郞君は唯今の入道殿におはします。女院の御母北の方の御腹の君達三所の御ありさま申し侍らむ。昭宣公の御君達三平とは聞えさすめりしに、この三所をば三道とや世の人申しけむ。えこそうけたまはらずなりしか』とてほゝゑむ。

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