「濱千鳥とびゆくかぎりありければ雲たつ山をあはとこそみれ」。
いといみじうめでさせ給ひて、ものかづけさせ給ひき。
「命だに心にかなふものならばなにかわかれのかなしかるべき」。
このしろ女がうたなり。又鳥飼の院におはしましたる、例のあそびどもあまた參りたるなかに、大江の玉淵が娘のこよなくかたちをかしげなれば、あはれがらせ給ひて、うへに召しあげて、「玉淵はいとらうありて歌などよくよくみき。このとりかひといふ題を人々のよむに、おなじ心に仕うまつりたらば、誠の玉淵が子とはおぼしめさむ」と仰せ給ふ。承りて、即、
「深綠かひある春にあふときはかすみならねどたちのぼりけり」
などめでめでたがりて御門よりはじめ奉りてものかづけたまふ』ほどの事、南院の七郞君にこゝろむべき事など仰せられけるほどなど委しくかたる。『延喜の御時古今撰ぜられしをり貫之はさらなり、忠岑や躬恆などは御書所に召されて候ひるけほどに、櫻の木に郭公の鳴くをきこしめして、四日二日なりしかばまだしのびねの頃にて、いみじう興じおはします。貫之召しいだして歌つかうまつらせ給へり。
「ことならはいかゞなきけむ郭公このよひばかりあやしきぞなき」。
それをだにけやけき事に思ひたまへしに、おなじ御時に御あそびありし夜、御ぜんのみはしもとに躬恆をめして、「月をゆみはりといふこゝろは何のこゝろぞ、これがよしつかうまつれ」とおほせ事ありしかば、
「てる月を弓はりとしもいふことは山邊をさしていればなりけり」
と申したるをいみじう感ぜさせ給ひて、おほうちぎたまはりて肩にうちかくるまゝに、
「白雲のこのかたにしもおりゐるはあまつ風こそ吹きてきぬらし」。
いみじかりしものかな。さばかりのものを近う召しよせて勅祿賜はるべきことならねど、譏り申す人のなきも、君の重くおはしまし、又躬恆が和歌の道に免されたることこそ思ひ給へしか。かのあそびどもの歌よみしを感じ給へるはさぞ侍る。院にならせ給ひ、都離れたる所なればといふこそあまりにおよすけたれ』。この侍問ふ、『圓融院紫野の子日のひ、曾禰好忠いかに侍りけることぞ』といへば『それいと希有に侍りしことなり。さばかりの事に上下をえらばず和歌を賞せさせ給はむことげに口をしき事に侍れど、かくろへて優なる歌をよみ出さむだにいと無禮に侍るべき。殊に座にたゞつきにつきたりし、あさましき事ぞかし。小野宮殿、閑院大將殿などぞかし、ひきたてよひきたてよとおきてさせ給ひしは。
躬恆が別祿たまはるにたとしへなき歌よみなりかし。歌いみじうとも折ふしきやめを見て仕うまつるべきなり。けしうあらぬ歌よみなれど、からく劣りにしことぞかし』といふ。さぶらひこまやかにうち笑ひて、「いにしへのいみじき事どもの侍りけむはしらず、なにがし物覺えて不思議なりしことは、三條院の大甞會の御禊のいだし車、大宮皇太后宮より奉らせ給へりしぞありしや。大宮の一の車の口のまゆにかうなうかけられて、空だき物たかれたりしかば二條の大路のつふとけぶりみちたりりしさまこそめでたく、今にさばかりのみもの又なし』といへば、世繼、『しかしか、いかばかり御心に入れていとみさせ給へりしかば、それに女房の御心のおほけなさはさばかりの事を簾垂おろして渡りたまひしはとよ。
あさましかりし事ぞかしな。ものけたまはる口に乘るべしと思はれけるが、しりに押し下され給へりけるとこそ承りしか。げに女房のからきことにせらるなれども、しうの思しめさむ所もしらず、をとこはえしかあるまじくこそ侍れ。大かたその宮には心おぞましき人のおはするにや。一品宮の御裳着に、入道殿より玉を貫きいはほをたて水をやり、えもいはず調ぜさせ給へる裳唐ぎぬをまづ奉らせ給ひて「中にもとりわきて思しめさむ人にたまはせよ」と申させたまへりけるをさりともと思ひ給ひける女房のたまはらでやがてそのなげきに病づきて七日といふにうせ給ひにけるを、いとさまで覺え給ひけむ罪ふかく、ましていかにものねたみの心ふかくいましけむ』などいふぞあさましくいかでかく萬の事御簾の內まで聞きたらむと恐しく、かやうなるおんなおきなゝどのふる事するはいとうるさく、聞かまうきやうにこそ覺ゆるに、此は唯昔に立ちかへりあひたる心ちして、又々もいへかしと、さしいらへこと問はまほしき事多く、心もとなきに、『講師おはしましにたり』と立ち騷ぎのゝしりし程に、かきさましてしかばいと口をしき、事はてなむに人つけて家はいづこぞと見せむと思ひしも、例のなからばかりが程に、その事となくとよみとてかいのゝしり出できて、居込みたりつる人も皆くづれ出づるほどに紛れていづれともなく見まぎらはしてし口をしさこそ、何事よりもかの夢の聞かまほしさに居所も尋ねさせむとし侍りしかども、ひとりひとりをだにえ見つけずなりにしよ。
まことまこと御門の母きさいの御もとに行幸せさせ給ひて、御輿寄することは深草の御時よりありけることとこそ。それがさきはおりて乘らせ給ひけるを后の宮「行幸のありさま見奉らむ。唯寄せて奉れ」と奏せさせ給ひければ、その度さておはしましけるより、今はよせてのらせたまふとぞ。皇后宮の大夫殿書きつがはれたる夢なり。この年ごろ聞けば、百日千日の講行はぬ家々なし。老いたるも若きも後の世のつとめをのみ思し申すめるに、一日の講も行はず、唯つらつらといたづらに起きふしてのみ侍る罪ふかさに、ある所の千日の講、卯の時になむ行ふと聞きて參りたりけるに、人々所もなく車もかちの人もありけむ。やゝ待てど講師見えず、人々のいふを聞けば、『今日の講は夕つ方ぞあらむ』などいふに、歸らむも罪えがましくおもふに、百とせばかりにやあらむと見ゆる翁の居たる傍に、法師のおなじほどに見ゆる、人の中を分けてきてこの翁に「いとかしこく見奉りつけてあながちに參りつるなり。
そもそもおまへは一とせ世繼の菩提講にて物語し給ひしに、あながちに居寄りて、あとうち給ひしと見奉るは老法師のひがめか』といへば、男『さもや侍りけむ』といふ。これはいでけうありて、『その世繼には又やあひ給へりし』といへば、『後三條院生れさせ給ひてなむあひて侍りし』といへば、『さてさていかなる事か申されけむ。そのかみごろも、みゝも及ばず承り思う給へし。その後さまざま興ある事も侍るを聞かせ給ひけむ。まことに今の世の事とりそへてたまはせよ。あはれいく年にならせ給ひ侍りぬらむ』といへば、「二のまひの翁にてこそは侍らめ。さはありときかむと思しめさばすこぶる申し侍らむ。まづその年萬壽二年きのとの丑の年今年つちのとの亥の年とや申す。八十三年にこそなりにて侍りけれ。
いでや何ばかり見聞きたる事のなさけも侍らず。かの世繼の申されし事も耳にとゞまるやうにも侍らざりき』といへば、法師、『いでいでさりとも八十三年の功德のはやしとは今日の講を申すべきなめり。今もむかしもしかぞ侍りし。二のまひの翁ものまねびの翁、僧らが申さむことを正敎になずらへて誰も聞しめせ』といへば、翁「きこしめしどころも侍るまじけれど、かくせちにすゝめ給へば、今はのきざみにをこのものに笑はれ奉るべきにこそ。見聞き侍りしは、後一條院長元九年四月十七日うせさせ給へる、保天下二十一年、そのほどいらなく悲しき事多く侍りき。中宮はやがておぼしめし歎きて、おなじ年の九月六日うせさせ給ひにし。上東門院おぼしめし歎きしかど、これにも後れ奉らせたまひて、一品の宮さきの齋院をこそはかしづき奉らせ給ひしか。
院のおほん葬送の夜ぞかし、常陸の國の百姓とかや、