第12話神話・歴史抄訳
巻第二十六 斉明天皇七年(熟田津の石湯行宮)
斉明天皇の六年、百済が唐と新羅の連合軍に攻め滅ぼされた。百済の遺臣鬼室福信は使者を送り、人質として日本にいた王子豊璋を王に迎えたいと願うとともに、救援の軍を求めた。天皇は「危機にある国を助け、絶えた国を継がせるのは道理にかなうことだ」と言って、救援を決めた。
七年正月六日、天皇の御船は西へ向かい、初めて海路についた。八日、御船が大伯の海(岡山県の邑久付近の海)に至ったとき、同行していた大田皇女が女の子を産んだ。そこでこの子を大伯皇女と名づけた。
十四日、御船は伊予の熟田津の石湯行宮に停泊した。石湯とは、今の道後の温泉である。天皇の一行は、潮と風を待ってしばらくこの地に留まった。この船出の際、額田王が詠んだと伝えられるのが、『万葉集』の「熟田津に船乗りせむと月待てば」の歌である。
三月二十五日、御船は本来の航路に戻って娜大津(博多湾)に着き、磐瀬行宮に入った。天皇はここを長津と改めた。五月には朝倉橘広庭宮に移ったが、そのとき朝倉社の木を切り払って宮を造ったため、雷神が怒って御殿を壊し、宮中に鬼火が現れ、近侍の者たちが多く病死した。
七月二十四日、天皇は朝倉宮で崩御した。八月、皇太子(中大兄)が喪に服して長津宮に戻ったが、その夕べ、朝倉山の上に大笠を着た鬼が現れ、喪の儀式をのぞき見ていたので、人々はみな怪しんだという。