第14話神話・歴史抄訳
巻第二十七 天智天皇六年〜七年(近江遷都と即位)
天智天皇の六年三月十九日、都を近江に遷した。このとき、天下の人々は遷都を望まず、遠回しに批判して諫める者が多かった。風刺をこめたわざ歌もたくさん歌われた。昼も夜も、あちこちで火事が起きた。
白村江での敗戦から四年。唐と新羅の侵攻を恐れた中大兄皇子(天智天皇)は、瀬戸内海から遠く、琵琶湖の水運で東国や北陸とも結ばれる近江の大津に新しい都を定めたのであった。この年の十一月には、倭国の高安城、讃岐国の屋嶋城、対馬国の金田城も築かれた。
七年正月三日、皇太子はついに即位した。斉明天皇の崩御から数えて六年余り、称制(即位せずに政務をとること)を続けた末の即位であった。二月には古人大兄皇子の娘の倭姫王を皇后に立てた。
五月五日、天皇は蒲生野で薬猟(薬草や鹿の若角をとる行事)を行った。皇太弟(大海人皇子)、諸王、内臣、群臣がみな従った。『万葉集』に残る額田王の「あかねさす紫野行き」と、大海人皇子の「紫のにほへる妹を」の歌は、このときの宴で詠まれたと伝えられる。
この年、天皇は藤原鎌足に命じて、法令を定めさせたともいう。近江の都は、わずか五年余りで壬申の乱によって廃墟となる。のちに柿本人麻呂は、荒れ果てたこの都の跡を訪れ、「ささなみの志賀の大わだ淀むとも」と、失われた都を悼む歌を詠んでいる。