第15話神話・歴史抄訳

日本書紀

巻第二十七〜二十八 天智天皇十年/天武天皇元年(吉野入り)

舞台 吉野山(奈良県)
成立 720年 作者 舎人親王ら

原文或の曰く、「虎に翼を着けて放てり」といふ。

現代語訳

天智天皇の十年十月、天皇は重い病にかかった。天皇は蘇我安麻侶を遣わして、弟の東宮(大海人皇子)を寝所に呼んだ。安麻侶はもとから東宮と親しかったので、ひそかに東宮を顧みて「お言葉にはよくよく注意してお答えなさいませ」とささやいた。東宮は陰謀があることを察し、用心した。

天皇が皇位を譲ろうと告げると、東宮は辞退して言った。「私は不幸にしてもともと病が多く、とても国家を保つことはできません。どうか天下を皇后に託され、大友皇子を皇太子にお立てください。私は今日から出家して、陛下のために仏道を修めたいと思います」。天皇はこれを許した。東宮はその日のうちに内裏の仏殿の南で髪を剃り、僧となった。

十月十九日、東宮は吉野に入ることになった。左右大臣らが宇治まで見送った。ある人は「虎に翼をつけて野に放ったようなものだ」と言った。

十二月、天智天皇は近江宮で崩御した。翌年五月、吉野にいる大海人のもとに、近江朝廷が美濃・尾張の人夫を集めて武器を持たせていること、また近江から大和への道々に見張りを置き、吉野への食料の運び込みを止めているという知らせが届いた。大海人は「私が位を譲って身を退いたのは、ひとりで病を養い、天命を全うしようと思ったからだ。それなのに禍を受けようとしている。どうして黙って身を滅ぼされようか」と言った。

六月二十四日、大海人はついに吉野を出た。にわかのことで乗る馬もなく、徒歩で出発した。妃の鸕野讃良皇女(のちの持統天皇)は輿に乗り、草壁皇子、忍壁皇子と舎人ら二十数人、女官十数人が従った。壬申の乱の始まりである。

地点メモ:大海人皇子が出家して隠棲し、ここから挙兵する(壬申の乱)。
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