第74話随筆抄訳
福原遷都
また、治承四年(一一八〇年)の六月ごろ、突然、都遷りがあった。まったく思いもかけないことであった。そもそも、この平安京の始まりについて聞いていることは、嵯峨天皇の御代に都と定まってから、すでに四百年余りを経ている。特別な理由もなくて、たやすく改まるはずもないので、このことを世の人が不安に思い嘆き合ったのは、まったくもっともなことであった。
しかし、あれこれ言ってもかいがなくて、帝をはじめとして、大臣や公卿はみな、残らずお移りになった。朝廷に仕える人で、誰が一人、もとの都に残っていようか。官位を求め、主君の恩恵を頼みにしている人は、一日でも早く移ろうと励み、時勢に取り残され、出世の望みもない者は、嘆きながらとどまっていた。
軒を競っていた人々の住まいは、日がたつにつれて荒れていく。家は取り壊されて淀川に浮かべられ、土地は見る見るうちに畑となった。人の心はみな変わって、ただ馬や鞍ばかりを重んじ、牛車を使う人はいなくなった。西南海の領地を望み、東北の荘園を好まない。
その頃、ついでがあって、摂津の国の新しい都に行った。その地の様子を見ると、南は海に近く、北は山が迫って、土地が狭く、条里を割るにも足りない。波の音が常にやかましく、潮風がことにひどい。内裏は山の中にあるので、あの木の丸殿もこのようであったかと、かえって風変わりで、優雅な趣もある。
日々に取り壊して、川も狭くなるほどに運び下す家は、どこに造るのだろうか。まだ空き地は多く、造られた家は少ない。古い都はすでに荒れて、新しい都はまだ完成していない。人々はみな、浮き雲のように落ち着かない思いをしている。結局、その年の冬、また平安京に戻られたが、取り壊した家々は、どうなったのだろうか。すべてが元のようには造られなかった。