第130話日記・紀行抄訳
「敦賀」
だんだん白根が岳(白山)が見えなくなって、比那が岳が現れる。あさむづの橋を渡って、玉江の蘆は穂が出ていた。鶯の関を過ぎて、湯尾峠を越えると、燧が城、かへる山に初雁を聞いて、十四日の夕暮れ、敦賀の港に宿をとった。
その夜、月がことに晴れていた。「明日の夜もこのようであるだろうか」と言うと、宿の主人は「越路の習いで、やはり明日の夜の天気は分かりません」と言って、酒を勧められるので、気比の明神に夜参りした。仲哀天皇の御廟である。社殿の辺りは神々しくさびて、松の木の間から月の光が漏れ入り、神前の白砂は霜を敷いたようである。
宿の主人が語るには、「昔、遊行二世の上人(他阿真教)が、大きな願いを思い立たれ、自ら草を刈り、土石を担い、ぬかるみを乾かされたので、参詣の往来に苦労がなくなりました。古い例は今も絶えず、代々の遊行上人が神前に真砂を運ばれます。これを遊行の砂持ちと申します」とのことである。
「月清し遊行の持てる砂の上」(遊行上人が代々運んできたという白い砂の上に、月の光が清らかに照っている)
十五日、宿の主人の言葉どおり、雨が降った。
「名月や北国日和定めなき」(今夜は仲秋の名月だというのに、北国の天気は変わりやすく、雨になってしまった)
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十六日、空が晴れたので、ますほの小貝を拾おうと、種の浜に舟を走らせる。海上七里ある。浜は、わずかな漁師の小屋と、みすぼらしい法華寺があるばかりである。ここで茶を飲み、酒をあたためて、夕暮れのもの寂しさは、心に深くしみた。
「寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋」(この種の浜の秋の寂しさは、『源氏物語』で名高い須磨の秋の寂しさにも勝っている)