第138話芸能・浄瑠璃抄訳
九段目「山科閑居の段」
大星由良助は、京の山科に家を構え、妻のお石とともにひっそりと暮らしていた。雪の降る日、そこへ、加古川本蔵の妻の戸無瀬と、娘の小浪が訪ねてきた。
小浪は、由良助の息子、大星力弥の許嫁であった。しかし、本蔵は、殿中で判官を抱き止めて、師直を討たせなかった人物である。お石は、「主君の仇討ちを妨げた者の娘を、嫁にすることはできない」と、祝言を断った。
戸無瀬は、「嫁入りができないのなら、娘を殺して、自分も死ぬ」と、刀を抜いて、小浪を斬ろうとした。小浪も、覚悟を決めて手を合わせた。そのとき、表から、虚無僧の吹く尺八の音が聞こえてきた。
お石が、「祝言を許しましょう。ただし、引き出物として、本蔵殿の首をいただきたい」と言ったとき、戸口から、虚無僧姿の男が入ってきた。本蔵その人であった。
本蔵は、わざとお石を挑発し、由良助の悪口を言い立てた。そこへ、力弥が飛び出してきて、槍で本蔵を突き刺した。本蔵は、わざとその槍を受けたのである。
奥から由良助が現れた。本蔵は、苦しい息の下から、心の内を語った。「あのとき、判官殿を抱き止めたのは、師直に賄賂を贈って、主君の命を救うためだった。しかし、そのために判官殿は切腹し、塩冶家は滅んだ。わしは、ずっと自分を責めてきた。この命を差し出して、小浪を力弥殿の嫁にしてもらいたい」。
本蔵は、婿への引き出物として、師直の屋敷の絵図面を差し出した。そこには、屋敷の間取りから、雨戸の数、隠し部屋に至るまで、詳しく書き込まれていた。由良助は、深く頭を下げて、本蔵の真心を受け取った。
その夜、力弥と小浪は、ただ一夜限りの夫婦の契りを交わした。
山科には、大石内蔵助の旧居跡に、大石神社が建てられ、大石が植えたという「大石桜」が咲いている。