土佐日記

紀貫之 935年頃

概要

934年12月21日、土佐守の任を終えた紀貫之の一行が国府を発ち、翌年2月16日に京の自宅に着くまでの55日間を、日付を追って記す。作者は女性に仮託して仮名で書いた。船旅の不安、海賊への恐れ、船頭たちの歌、見送る土地の人々とのやりとりのあいだに、任地で亡くした幼い娘への思いが繰り返し記される。

時代背景

当時、男性貴族の日記は漢文で書く公的な記録だった。貫之は女性の書き手を装うことで、仮名で私的な感情を自由に書く道を開いた。国司は任期が終わると京へ戻り、次の官職を待つのが常だった。瀬戸内には海賊が出没し、ほぼ同じ時期に藤原純友の乱が起きている。船旅は命がけだった。

読みどころ

  1. 冒頭の一文「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」。書き手の性別を偽るという、大胆な仕掛け。「土佐国府」を読む →
  2. 風待ちの日々室津で何日も足止めされる。旅の退屈と焦りが、そのまま書き留められる。「室戸岬」を読む →
  3. 海賊への恐れ海賊を避けて、阿波の水門を夜のうちに漕ぎ渡る。「鳴門海峡」を読む →
  4. 荒れた家ようやく着いた京の家は荒れ果てていた。一緒に帰るはずだった娘を思って歌を詠み、日記は閉じられる。「平安京・内裏」を読む →