都に戻った源氏は、権大納言となり、やがて内大臣に昇進された。明石では姫君が生まれ、源氏は乳母を遣わして、大切に養育させていた。
その秋、源氏は、須磨・明石での苦難のときに立てた願を果たすため、住吉大社に参詣された。その行列は、世間が大騒ぎするほど盛大なもので、上達部や殿上人が我も我もとお供をした。
ちょうどその日、明石の君も、毎年の例として住吉に参詣しようと、船でやって来ていた。岸に着いて見ると、たいそう騒がしく参詣する人々の様子が、渚にあふれている。奉納の品々を捧げ持った者が列をなし、楽人や舞人の装束は美しく、左右の近衛の随身たちの姿も見事である。「どなたのご参詣ですか」と尋ねると、「内大臣殿が願ほどきに参詣なさるのを、知らない人もいたのか」と、身分の低い者まで得意げに笑う。
明石の君は、「よりによって、こんな日に来合わせるとは。遠くからお姿を拝見するにつけても、わが身のほどが思い知らされる」と、たいそう悲しくなった。緑の袍の中に、若々しい惟光の姿も見える。源氏のお乗りになる車は遠くにあって、お姿を拝見することもできず、胸がふさがる思いである。明石の君は、奉納もせずに、そのまま船を難波の方へ漕ぎ返させた。
あとでこのことを聞いた源氏は、たいそう気の毒に思われ、明石の君に歌を贈られた。「みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひける縁は深しな」(身を尽くして恋しく思うかいがあって、ここ難波の澪標のある所でまでめぐり逢えたのは、縁が深いのだね)。巻名「澪標」は、この歌に由来する。