十五 熊捕

北越雪譜 原文
原文現代語訳

越後の西北は大洋(おほうみ)に対(たい)して高山(かうざん)なし。東南は連山(れんざん)巍々(ぎゝ)として越中上信奥羽の五か国に跨(またが)り、重岳(ちようがく)高嶺(かうれい)肩(かた)を並(なら)べて数(す)十里をなすゆゑ大小の獣(けもの)甚(はなはだ)多(おほ)し。此獣(けもの)雪を避(さけ)て他国へ去るもありさらざるもあり、動(うごか)ずして雪中に穴居(けつきよ)するは熊(くま)のみ也。熊胆(くまのい)は越後を上品(ひん)とす、雪中の熊胆はことさらに価(あたひ)貴(たつと)し。其重価(ちようくわ)を得(え)んと欲(ほつ)して春暖(しゆんだん)を得(え)て雪の降止(ふりやみ)たるころ、出羽(では)あたりの猟師(れふし)ども五七人心を合せ、三四疋の猛犬(まうけん)を牽(ひ)き米と塩(しほ)と鍋(なべ)を貯(たくは)へ、水と薪(たきゞ)は山中在(あ)るに随(したがつ)て用をなし、山より山を越(こえ)、昼(ひる)は猟(かり)して獣(けもの)を食(しよく)とし、夜は樹根(きのね)岩窟(がんくつ)を寝所(ねどころ)となし、生木(なまき)を焼(たい)て寒(さむさ)を凌(しのぎ)且(かつ)明(あかし)となし、着(き)たまゝにて寝臥(ねふし)をなす。頭(かしら)より足(あし)にいたるまで身(み)に着(き)る物(もの)悉(こと〴〵)く獣(けもの)の皮(かは)をもつてこれを作る。遠(とほ)く視(み)れば猿(さる)にして顔(かほ)は人也。金革(きんかく)を衽(しきね)にすとはかゝる人をやいふべき。此者(もの)らが志(こゝろざす)所は我国の熊にあり。さて我山中に入り場所(ばしよ)よきを見立(みたて)、木の枝(えだ)藤蔓(ふぢつる)を以て仮(かり)に小屋(こや)を作りこれを居所(ゐどころ)となし、おの〳〵犬を牽(ひき)四方に別(わかれ)て熊を窺(うかゞ)ふ。熊の穴居(こもり)たる所を認(みつくれ)ば目幟(めじるし)をのこして小屋にかへり、一連(れん)の力を併(あはせ)てこれを捕(と)る。その道具(だうぐ)は柄(え)の長さ四尺斗りの手槍(てやり)、或(あるひ)は山刀(やまがたな)を薙刀(なぎなた)のごとくに作りたるもの、銕炮(てつはう)山刀斧(をの)の類(るゐ)也。刃(は)鈍(にぶ)る時は貯(たくは)へたる砥(と)をもつて自(みづから)研(と)ぐ。此道具(だうぐ)も獣(けもの)の皮(かは)を以て鞘(さや)となす。此者ら春にもかぎらず冬より山に入るをりもあり。

そも〳〵熊(くま)は和獣(わじう)の王、猛(たけ)くして義(ぎ)を知(し)る。菓木(このみ)の皮虫(かはむし)のるゐを食(しよく)として同類(どうるゐ)の獣(けもの)を喰(くらは)ず、田圃(たはた)を荒(あらさ)ず、稀(まれ)に荒(あら)すは食(しよく)の尽(つき)たる時也。詩経(しきやう)には男子(だんし)の祥(しやう)とし、或は六雄将軍(りくゆうしやうぐん)の名を得(え)たるも義獣(ぎじう)なればなるべし。夏(なつ)は食(しよく)をもとむるの外(ほか)山蟻(やまあり)を掌中(てのひら)に擦着(すりつけ)、冬(ふゆ)の蔵蟄(あなごもり)にはこれを䑜(なめ)て飢(うゑ)を凌(しの)ぐ。牝牡(めすをす)同(おなじ)く穴(あな)に蟄(こも)らず、牝(めす)の子あるは子とおなじくこもる。其蔵蟄(あなごもり)する所は大木の雪頽(なだれ)に倒(たふ)れて朽(くち)たる洞(うろ)(なだれの事下にしるす)又は岩間(いはのあひ)土穴(つちあな)、かれが心に随(したがつ)て居(を)る処さだめがたし。雪中の熊は右のごとく他食(たしよく)を求(もとめ)ざるゆゑ、その胆(きも)の良功(りやうこう)ある事夏の胆に比(くらぶ)れば百倍(ばい)也。我国にては、●飴胆(あめい)●琥珀胆(こはくい)●黒胆(くろい)と唱(とな)へ色をもつてこれをいふ。琥珀(こはく)を上品(ひん)とし、黒胆を下品とす。偽物(ぎぶつ)は黒胆に多し。

●さて熊を捕(とる)に種々(しゆ〴〵)の術(じゆつ)あり。かれが居(をる)所の地理(ちり)にしたがつて捕得(とりえ)やすき術をほどこす。熊は秋の土用より穴(あな)に入り、春の土用に穴より出(いづ)るといふ。又一説(せつ)に、穴に入りてより穴を出るまで一睡(ひとねむり)にねむるといふ、人の視(み)ざるところなれば信(しん)じがたし。

沫雪(あわゆき)の条(くだり)にいへるごとく、冬の雪は軟(やはら)にして足場(あしば)あしきゆゑ、熊を捕(とる)は雪の凍(こほり)たる春の土用まへ、かれが穴よりいでんとする頃(ころ)を程(ほど)よき時節(じせつ)とする也。岩壁(がんへき)の裾(すそ)又は大樹(たいじゆ)の根(ね)などに蔵蟄(あなごもり)たるを捕(とる)には圧(おし)といふ術(じゆつ)を用(もち)ふ、天井釣(てんじやうづり)ともいふ。その制作(しかた)は木の枝(えだ)藤(ふぢ)の蔓(つる)にて穴に倚掛(よせかけ)て棚(たな)を作(つく)り、たなの端(はし)は地(ち)に付て杭(くひ)を以てこれを縛(しば)り、たなの横木に柱(はしら)ありて棚(たな)の上に大石を積(つみ)ならべ、横木より縄(なは)を下し縄に輪(わ)を結(むす)びて穴(あな)に臨(のぞま)す、これを蹴綱(けづな)といふ。此蹴綱に転機(しかけ)あり、全(まつた)く作(つく)りをはりてのち、穴にのぞんで玉蜀烟艸(たうがらしたばこ)の茎(くき)のるゐ熊(くま)の悪(にく)む物を焚(たき)、しきりに扇(あふぎ)て烟(けふり)を穴に入るれば熊烟りに噎(むせ)て大に怒(いか)り、穴を飛出る時かならずかの蹴綱(けづな)に触(ふる)れば転機(しかけ)にて棚(たな)落(おち)て熊大石の下に死(し)す。手を下(くだ)さずして熊を捕(とる)の上術(じゆつ)也。是は熊の居所(ゐどころ)による也。これらは樵夫(せうふ)も折(をり)によりてはする事也。

又熊捕(くまとり)の場数(ばかず)を蹈(ふみ)たる剛勇(がうゆう)の者は一連(れん)の猟師(れふし)を熊の居(を)る穴の前に待(また)せ、己(おのれ)一人ひろゝ簑(みの)を頭(かしら)より被(かぶり)り(ひろゝは山にある艸の名也、みのに作れば稿よりかろし、猟師常にこれを用ふ)穴にそろ〳〵と這(はひ)入り、熊に簑(みの)の毛を触(ふる)れば熊はみのゝ毛を嫌(きら)ふものゆゑ除(よけ)て前にすゝむ。又後(しりへ)よりみの毛を障(さはら)す、熊又まへにすゝむ。又さはり又すゝんで熊終(つひ)には穴の口にいたる。これを視(み)て待(まち)かまへたる猟師(れふし)ども手練(しゆれん)の槍尖(やりさき)にかけて突留(つきとむ)る。一槍(ひとやり)失(あやまつ)ときは熊の一掻(ひとかき)に一命(めい)を失(うしな)ふ。その危(あやふき)を蹈(ふん)で熊を捕は僅(わづか)の黄金(かね)の為(ため)也。金慾(きんよく)の人を過(あやまつ)事色慾(しきよく)よりも甚(はなはだ)し。されば黄金(わうごん)は道(みち)を以て得(う)べし、不道をもつて得(う)べからず。

又上に覆(おほ)ふ所ありてその下には雪のつもらざるを知り土穴を掘(ほり)て蟄(こも)るもあり。然(しか)れどもこゝにも雪三五尺は吹積(ふきつもる)也。熊の穴ある所の雪にはかならず細孔(ほそきあな)ありて管(くだ)のごとし。これ熊の気息(いき)にて雪の解(とけ)たる孔(あな)也。猟師(れふし)これを見れば雪を掘て穴をあらはし、木の枝(えだ)柴(しば)のるゐを穴に挿(さし)入れば熊これを掻(かき)とりて穴に入るゝ、かくする事しば〳〵なれば穴逼(つま)りて熊穴の口にいづる時槍にかくる。突(つき)たりと見れば数疋(すひき)の猛犬(つよいぬ)いちどに飛かゝりて囓(かみ)つく。犬は人を力とし、人は犬を力として殺(ころす)もあり。此術は椌(うつほ)木にこもりたるにもする事也。

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