雪崩は山に限らない。峰のような形をしたところでは、時になだれることがある。文化の初めごろ、思川村の天昌寺の住職、執中和尚は、私、牧之の伯父である。十一月の末、この人が居間の二階で机に向かって書きものをしていたところ、窓の庇に下がった五、六尺ものつららが明かりをさえぎって机のあたりが暗い。それで軒に出て、使用人が雪を掘ろうと置いておいた木鋤を取り、つららを打ち折ろうと一打ちした。その響きのせいだったろうか(土地の言葉でつららを「かなこおり」という。「たるひ」とは古語でもいう)、本堂に積もった雪が片側の屋根からごろごろとなだれ落ちた。土蔵のそばに清水を引いた池があり、和尚は雪崩に押し落とされて池に落ちるところだったが、雪崩の勢いで体が手まりのように池も跳び越え、掘り上げた雪の山に半身を埋められた。「あっ」と叫んだ声に、庫裏の雪を掘っていた使用人たちが駆けつけ、持っていた木鋤で和尚を掘り出した。和尚は大笑いし、体を見るとかすり傷ひとつなく、耳にかけた眼鏡さえ無事で、不思議に命が助かった。このとき七十余りの老僧だったが、前に述べたある村の人の不幸にくらべれば、九死に一生を得た天の幸いというべきだろう。年も八十余りまで病気をせず、文政の末に亡くなった。
ふだん私に教えて言われたことには、「わしが雪崩に打たれたとき書いていたのは尊いお経だったので、ただ書くのではもったいないと、一字ごとに念仏を唱えて書いていた。雪崩で死ぬはずだったのに不思議に命が助かったのは、一字念仏の功徳だったのだろう。だから人は常に神仏を信じて、悪いことや災難をまぬがれるよう祈るべきだ。神仏を信じる心の中から悪い心は出てこないものだ。悪い心のないことが、災難をのがれる第一である」。この教えは今もなお耳に残っている。人の知恵を尽くしたうえで思いもよらない大難にあうのは、因果のなせるところだろうか。人にははかり知れない。人家の雪崩でも、家がつぶれたり人が死んだりしたことをたくさん見聞きしたが、それほど書くこともあるまいと記さない。