さきのとし玉山翁が梓行せられし軍物語の画本の中に、越後の雪中にたゝかひしといふ図あり。文には深雪とありて、しかも十二月の事なるに、ゑがきたる軍兵どもが挙止を見るに雪は浅く見ゆ。(越後の雪中馬足はたちがたし、ゆゑに農人すら雪中牛馬を用ひず、いわんや軍馬をや、しかるを馬上の戦ひにしるしたるは作者のあやまり也、したがふて画者も誤れる也、雪あさき国の人の画作なれば雪の実地をしらざるはうべ也)越後雪中の真景には甚しくたがへり。しかしながら画には虚もまじへざればそのさまあしきもあるべけれど、あまりにたがひたれば玉山の玉に瑾あらんも惜ければ、かねて書通の交りにまかせて牧之が拙き筆にて雪の真景種々写し、猶常に見ざる真景もがなと春の半わざ〳〵三国嶺にちかき法師嶺のふもとに在る温泉に旅りそのあたりの雪を見つるに、高き峯よりおろしたるなだれなどは、五七間ほどなる四角或は三角なる雪の長さは二三十間もあらんとおもふが谷によこたはりたる上に、なほ幾つとなく大小かさなりたるなど、雪国にうまれたる目にさへその奇観ことばには尽しがたし。これらの真景をも其座にうつしとりたるを添て贈りしに、玉山翁が返書に、北越の雪我が机上にふりかゝるがごとく目をおどろかし候、これらの図をなほ多くあつめ文を添させ私筆にて例の絵本となし候はゞ、其書雪の霏々たるがごとく諸国に降さん事我が筆下に在りといはれたる書翰、今猶牧之が書笈にをさめあり。此書ならずして黄なる泉に玉山を沈しは惜べし〳〵。
二十五 玉山翁が雪の図
北越雪譜 原文
原文現代語訳